ZTT時代
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レーベルを移籍した直後にアルバム『ナインティ』をリリースする。この作品の1曲目「Magical Dream」では女性ボーカルを起用しており、この時点で彼らの基本スタイル(1曲あたりの時間が比較的短い、アルバムの曲間がシームレスにつながっている、など)は完全に固まった。また、「Pacific 202」が収録されている。1990年には『ナインティ』の曲順の変更・追加・エディットなどを施したアメリカ・デビュー盤の『Utd. State 90』を、現地の大手レーベルである「Tommy Boy」からライセンス・リリースし、世界的に名前が知られるようになる。 1991年にリリースされた『エクセル』では、ライブでのアドリブをきっかけに当時まだソロ・デビュー前だったビョーク(「Qmart」「Ooops」)や、ニュー・オーダーのバーナード・サムナー(「Spanish Heart」)らをゲストに迎え、名実ともに彼らの黄金期を代表するアルバムである。 1992年にマーティン・プライスが脱退する。翌1993年にリリースされたアルバム『ゴージャス』は、UB40 (「One in Ten」)などをゲストに迎えているが、プライスの脱退が影響したのか、前作よりも落ち着いた作風で統一されている。また、同年に来日記念盤『フォーキャスト』が発売されている。日本ではこの後、テクノブームが全盛期を迎えるが、808ステイトは逆にテクノシーンの中心から遠ざかっていく。3年のインターバルを経た1996年のアルバム『ドン・ソラリス』は、その頃盛り上がっていたドラムンベースの要素などを積極的に取り入れた意欲的な作品であるが、リリース当初の評価は時代遅れ、古臭い、などと酷評された。しかし一方で、ブライアン・イーノやプロペラヘッズらによるリミックスや未発表曲が収録された『サーモ・キングス』が同年に日本企画盤としてリリースされている。1998年には10周年記念のベスト盤『808:88:98』をリリースした後、ZTTを離れる。
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