UCIとの確執
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/19 00:49 UTC 版)
「グレアム・オブリー」の記事における「UCIとの確執」の解説
しかしオブリーの記録は一週間も経たない間にクリス・ボードマンが更新。さらにUCIが使われる自転車の規定を変更、彼の独創的なスタイルは禁止される事となる。さらにこの変更は明文化されていない状態でもあったので、彼が個人追い抜きの世界選手権開始の一時間前にその変更の事実を知るという事もあった。また同年彼の兄弟が死去、彼は躁鬱に苦しむ事になる。このような四面楚歌の状態を克服し、彼は新たなポジションを考案する。今度は腕をまっすぐ前方に伸ばすポジション(俗に『スーパーマン・ポジション』または『オブリー・ポジション・マーク・ツー』と呼ばれる)を考案、再び1994年4月27日にアワーレコード(52.713 km)を奪取した。(なおこの記録は、同年9月2日にミゲル・インドゥラインが53.040kmを出して更新している) 2000年にUCIがアワーレコードを『伝統的な(すなわち空力効率のために特化したエアロ形状になっていない)』形状のトラックレーサーで行うこととし、1972年のエディ・メルクスの記録(49.43195 km)以降の伝統的でない自転車によって作られた記録をすべて抹消する措置をとったため、オブリーの記録も公式記録としては抹消されてしまった。後に「UCIベストヒューマンエフォート」というアワーレコードとは別の分類で記録は認められている。しかし記録のための最新機材、風洞実験などを購う資金のないセミアマチュアの自転車選手である彼が、革新的な発想とそれを具現化させる努力をもって、アワーレコードの更新記録を樹立したという業績、また前述のように伝統を尊ぶUCIが課す度重なるルール変更にもめげず、自転車の技術的可能性を追求した姿には、ファンだけでなく他の自転車競技選手からの賞賛の声も多い。
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