PRIDE・Cage Rage
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 08:46 UTC 版)
「アンデウソン・シウバ」の記事における「PRIDE・Cage Rage」の解説
2002年6月23日、PRIDE初参戦となったPRIDE.21でアレックス・スティーブリングと対戦し、ドクターストップでTKO勝ちを収めた。 2003年3月16日、PRIDE.25で元UFC世界ウェルター級王者のカーロス・ニュートンと対戦し、タックルに合わせたカウンターの飛び膝蹴りでKO勝ち。同年6月8日、PRIDE.26で高瀬大樹と対戦し、三角絞めで一本負けを喫した。 2003年11月にアスエリオ・シウバらとシュートボクセ・アカデミーを離れ、ムエタイ・ドリームチーム(MTDT)を結成するもすぐに離脱。 2004年9月11日、Cage Rage世界ミドル級王座決定戦でリー・マーレイと対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。 2004年12月31日、PRIDE 男祭り 2004で長南亮と対戦。打撃で優勢に試合を進めていたが、3Rに蟹挟みからのヒールホールドで逆転の一本負け。その後、シュートボクセ・アカデミーのフジマール会長の政治的圧力によってPRIDE離脱を余儀なくされ、主戦場をCage Rageに移す。 この頃から親交の深いアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラらと共に練習をするようになり、シウバも柔術茶帯で寝技のスキルはもともと低くなかったが、総合格闘技で高いグラップリング技術を持つノゲイラ兄弟の手ほどきを受け、さらにグラップリングのスキルを磨くことで後の活躍への基盤を作った。2005年には2人から黒帯を授与されている。 2005年8月5日、ミノタウロことアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラが地元で主催した大会「ミノタウロ・ファイト」でボクシング戦を行い、KO勝ちを収めている。
※この「PRIDE・Cage Rage」の解説は、「アンデウソン・シウバ」の解説の一部です。
「PRIDE・Cage Rage」を含む「アンデウソン・シウバ」の記事については、「アンデウソン・シウバ」の概要を参照ください。
- PRIDE・Cage Rageのページへのリンク