PRIDE時代
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2004年4月25日、総合格闘技デビュー戦となったPRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦のヘビー級グランプリ1回戦で小川直也と対戦。左フックを受けダウンし肩固めで一本負けを喫した。この試合は腰と背中を痛めたまま強行出場していたことがレコ本人の口から語られている。試合後には腰(ヘルニア)の手術を受けることとなった。 2004年12月31日、PRIDE 男祭り 2004で美濃輪育久と対戦し、開始27秒ヒールホールドで一本負け。 2005年2月20日、PRIDE.29でPRIDEミドル級(-93kg契約)で迎えた3戦目。中村和裕と対戦し、コーナーでパウンドの連打を受けるとガードを固めて動かなくなったためレフェリーストップがかかりTKO負け。総合格闘技0勝3敗となり、友人であるミルコ・クロコップにも「PRIDEでは生き残れないからK-1に戻った方がいい」と忠告を受けた。
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