NBAファイナル進出と全盛期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 18:08 UTC 版)
「ゲイリー・ペイトン」の記事における「NBAファイナル進出と全盛期」の解説
次の1995-96シーズンは、ペイトンのキャリアのハイライトとなった。シーズン平均の成績は19.5得点7.5アシスト2.85スティールで3年連続オールNBAセカンドチーム入り、またディフェンス面でも貢献し、NBA最優秀守備選手賞に選ばれた。同僚のショーン・ケンプもキャリアの最盛期に入りつつあり、シュレンプはベテランとしてあらゆる面でチームに貢献していた。 チーム成績は64勝18敗とリーグ2位、ソニックス史上最多の勝ち星を上げ、このシーズンはプレイオフを勝ち上がっていった。NBAファイナルまで勝ち残ったソニックスが対戦したのは、このシーズン史上最多の勝ち数を上げていたシカゴ・ブルズだった。ブルズは復帰して本調子を戻していたマイケル・ジョーダン、オールラウンダーのスコッティ・ピッペン、優れたディフェンダーでリバウンダーデニス・ロッドマンを擁しリーグを席捲していた。 ブルズ有利の下馬評で始まった決勝シリーズは、シカゴで行われた初戦と第2戦、シアトルに舞台を移した第3戦とソニックスはブルズに3連敗を喫し、ブルズが優勝に王手をかけた。ペイトンは「ジョーダンのいるチームには勝てない」と珍しく気弱なコメントを残したが、第4戦目と5戦目は奮戦した。 これまで3試合ジョーダンのディフェンスを担当していたハーシー・ホーキンスに代わって、ペイトンや故障して欠場していたネイト・マクミランがジョーダンのマークについた。そしてシーズン平均30点以上を上げていたジョーダンを20点台前半に抑える活躍を見せた。シカゴのマスコミは「ジョーダンも人間だった」と評した。ペイトンらのディフェンスの甲斐あって4戦目と5戦目はソニックスが連勝し、シリーズ成績を2勝3敗に戻した。しかしシカゴに戻った第6戦をソニックスは落とし、優勝を逃した。以後ペイトンがソニックスにいる間は優勝のチャンスはなく、再び優勝に挑戦するのは数年後に移籍したあとのことだった。 その後数年間、ペイトンは平均得点20点以上、アシストは8本以上と優秀な成績を残し、リーグトップクラスの選手として活躍を続けた。1998年と2000年にはオールNBAファーストチーム入りを果たした。チーム成績はリーグでも上位あるいは中堅以上であり続けたが、プレーオフではカンファレンス・ファイナルに進出できないままだった。 ケンプは1997年に、カールヘッドコーチは1998年にチームを去り、チームの陣容は次第に変わっていった。そしてペイトン自身も2002-03シーズン途中でミルウォーキー・バックスへ放出された。
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