バーディングス
オランダの作曲家。インドネシアに生まれ、幼い頃にオランダに移り住んだ。初期の作品から6音音階や8音音階、微分音を採り入れている。作曲は、母校のデルフト工業大学で古生物学や地史学の助手をしている時に独学で始めた。その後、ペイペルに作曲を師事し、《交響曲 第1番》と《交響曲 第2番》で相次いで好評を得た。これを機に、ロッテルダムやアムステルダムで音楽の指導にあたるようになり、ハーグ音楽院の院長やシュトゥットガルト音楽大学の教授も務めた。講演のためにアメリカや南アフリカ共和国まで足を運んだこともある。オーケストラの作品の創作に長けたバーディングスの作風の変化は、その作品群から読みとることができる。また、ラジオ・オペラも手がけており、《オレステ》で1954年イタリア賞を受賞した。
ヘンク・バーディングス
(Henk Badings から転送)
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Jump to navigation Jump to searchヘンク・バーディングス(Henk Badings、1907年1月17日 - 1987年6月26日)は、オランダの作曲家。
ジャワ島のバンドンで生まれた。1937年までデルフト大学に鉱山技師兼古生物学者として勤務した後、音楽に人生を捧げた。ほとんど独学であり、当時のオランダ作曲界の長老であったウィレム・ペイペルから助言を受けることはあったが、音楽に対する見解は大きく異なっていた。
1930年にチェロ協奏曲第1番がアムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団によって初演され、最初の大きな成功を収めた。彼の作品の擁護者には著名な指揮者のエドゥアルト・ファン・ベイヌムとウィレム・メンゲルベルクがいた。シュトゥットガルト音楽大学やユトレヒト大学をはじめ各地で教職についた。第二次世界大戦後、ナチスの占領政策の協力者として告発され、短期間音楽活動を禁止されたが、1947年には復帰した。
作品は8音音階など特異な音階や和声が多用されている。多作家で、生涯に1,000以上の作品を残した。
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