GMの「グローバルカー構想」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 14:42 UTC 版)
「世界戦略車」の記事における「GMの「グローバルカー構想」」の解説
ゼネラルモーターズ(GM)は世界各地にグループ企業を持つが、1960年代までは同じクラスであっても各地で全く違う製品を開発、生産していた。しかしこれではコスト的に無駄が多く、グループのスケールメリットが生かされていないと考えたGM本社が1970年代初頭に提唱したのが「グローバルカー構想」であり、簡単に言えば「基本的なプラットフォームを共用し、そこから各地の国情に合わせた製品を派生させる」という戦略である。 最初の計画は大衆車クラスの「Tカー」で、ドイツのオペルが中心となって開発したプラットフォームから、オペル・カデット(C、1973年)、いすゞ・ジェミニ(初代モデル、1974年)ボクスホール・アストラ(1975年、イギリス)、ホールデン・ジェミナイ(ジェミニの豪州読み)、シボレー・シェヴェット(1973年、ブラジル/1976年、北アメリカ)などが派生した。 次の計画は、ミドルクラスの「Jカー」で、これは基本となるプラットフォーム自体を各社で分担して共同開発し、ここからオペル・アスコナ(C、1982年)、ボクスホール・キャバリエ(1982年、イギリス)、いすゞ・アスカ(1983年)、ホールデン・カミーラ(1982年、オーストラリア)、シボレー・モンザ(1982年、ブラジル)の他、ポンティアック・J2000、シボレー・キャバリエ、オールズモビル・フィレンザ、ビュイック・スカイホーク、キャデラック・シマロン(いずれも1982年、アメリカ)などが派生した。 この計画では、プラットフォームの共用化により、開発費を削減しながらより良い製品を造ることが目的であったが、最終的な製品は各地の事情に合わせて開発されており、同じ「Tカー」や「Jカー」であっても、全車を通じての互換性は少なく、製品そのものは国際商品というよりは「国内専用車」に近いものである。また各社で分担した設計のすり合わせに手間と時間がかかり、最終的に各国の事情に合わせることが開発の2度手間、3度手間になること、更にはモデルチェンジの方法や時期の相違など問題も多く、開発費の削減もGM本社が期待した程ではなかったためか、「Jカー」以降はGMグループ内でも、このような世界的規模の共同開発は行われていない。ただし2国間、2社間程度の共同開発、プラットフォームの共用は現在でも広く行われている。
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