ER22形(ЭР22)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 15:08 UTC 版)
「ソ連運輸省ER22形電車」の記事における「ER22形(ЭР22)」の解説
1964年から66編成が製造された最初のグループ。それまで製造されていたER10形から前面形状が変更され、半球状のものから前面二枚窓に改められている。車体は高床式プラットホームに対応した構造になっている。製造は電動制御車をリガ車両製造工場、付随車をカリーニン車両工場(現:トヴェリ車両工場)が担当した。 製造過程で電動制御車の重量削減を目的とした電装機器の変更が行われたものの、車軸への高い負担や回生ブレーキの不具合により1968年をもって製造が中止された。その際、製造途中で残された2両は衝突実験に使用された後解体されている。 モスクワを中心とした路線に導入が行われたが、1968年以降北カフカース鉄道などへの転属が行われ、2016年現在もカザフスタンのステプノゴルスク(ロシア語版)などで一部編成が使用されている他、各地の博物館に保存されている車両も存在する。 なお、ER22形と言う形式と共に62-105と言う番号で呼ばれていた他、車種によって以下の形式番号が付けられている。 62-106 - 電動制御車(Мг)。日本国有鉄道における電車の形式称号で言う「クモハ」に該当する。 62-107 - 付随車(Пп)。「サハ」に該当。 ステプノゴルスクで運行中のER22形 北カフカース鉄道博物館で保存されているER22形
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