多婁王
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/06/15 12:20 UTC 版)
多婁王 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 다루왕 |
漢字: | 多婁王 |
発音: | タルワン |
日本語読み: | たるおう |
ローマ字: | Daru-wang |
多婁王(たるおう、生年未詳 - 後77年)は百済の第2代の王(在位:28年 - 77年)であり、始祖の温祚王の嫡男。10年に太子となり、28年2月に温祚王の死去により王位についた。諱・諡は伝わっていない。子に己婁王。
治世
先王のときと同じく、即位当初から東北辺の靺鞨との戦いが続いた。初めのうち(30年、31年)はこれらを大いに殺したり捕虜にしたが、治世の中ごろには攻め込まれるばかりとなり、56年には牛谷城(ぎゅうこくじょう、ウゴクソン)を築いて備えることとした。一方、東方では63年には領域を娘子谷城(じょうしこくじょう、忠清北道清原郡)まで広げ、新羅に対して会盟を申し入れたが、受け容れられなかった。そこで64年、軍を派遣して新羅の蛙山城(あざんじょう、ワサンソン。忠清北道報恩郡)を攻撃したが勝つことができず、南の方へ戦場を移し、狗壌城(くじょうじょう、クヤンソン。忠清北道沃川郡)で新羅の兵を敗走させた。これ以後、蛙山城は新羅との係争地となり、互いに奪回を繰り返した。最終的には蛙山城を新羅に奪回されたまま、多婁王は在位50年にして77年9月に薨去した。
33年には初めて稲田を作らせたと記されているが、ここに出る「田」は日本で言うところの「畑」であり、朝鮮で稲作が普及するのは15世紀以降のことである。また、38年秋には、穀物の不作を理由として私酒造を禁じた、という記事もある。
参考文献
- 金富軾撰、井上秀雄訳注『三国史記』第2巻、平凡社〈東洋文庫425〉、1983 ISBN 4-582-80425-X
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「Daru of Baekje」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
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