DP214
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 04:50 UTC 版)
「アストンマーティン・DP212/DP214/DP215」の記事における「DP214」の解説
前年の反省をもとに、1963年のル・マン24時間レースには全く新しい3台のマシンが準備された。DP212の空力リフトの悪癖を抑えるため、空力的に見直したカム・テールとスポイラーを備え、全体的に長く低くなり、フレームも軽量化された。エンジンはDB4GT用エンジン内径を1mm拡大しφ93mmとした3,749ccで314hp。エンジンを通常より25cm後方に搭載し、リアサスペンションも半独立懸架のド・ディオン・アクスルから、ウィシュボーン+コイルの独立懸架に進化した。車重は7号車が1,104kg、8号車が1,000kg。シャシ番号は7号車が0194、8号車が0195。ドライバーは7号車がブルース・マクラーレン/イネス・アイルランド(Innes Ireland )組、8号車がウィリアム・キンバリー(William Kimberley )/ジョー・シュレッサー組。 1963年のル・マン24時間レースにGTカテゴリーから2台が出場した。しかし6時間経過後にの7号車のエンジンがユノディエールの出口付近で文字通り爆発、炎上してリタイアを喫し、この事故はジャガーに乗るロイ・サルヴァドーリやオトモビル・ルネ・ボネに乗るジャン=ピエール・マンゾンの事故の原因となり、さらにはルノー・アルピーヌに乗るクリスチアン・ハインス(Christian Heins )の死亡事故の原因となった。8号車は11時間経過後に総合3位を走行中エンジントラブルでリタイアとなった。
※この「DP214」の解説は、「アストンマーティン・DP212/DP214/DP215」の解説の一部です。
「DP214」を含む「アストンマーティン・DP212/DP214/DP215」の記事については、「アストンマーティン・DP212/DP214/DP215」の概要を参照ください。
- DP214のページへのリンク