Battle of Blore Heathとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Battle of Blore Heathの意味・解説 

ブロア・ヒースの戦い

(Battle of Blore Heath から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/29 07:23 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ブロア・ヒースの戦い

戦争薔薇戦争
年月日1459年 9月23日
場所:イングランド西ミッドランズ地域のブロア・ヒース
北緯52度54分49秒西経02度25分29秒
結果ヨーク家の勝利
交戦勢力
ランカスター家 ヨーク家
指導者・指揮官
オードリー男爵 
ダドリー男爵(捕虜)
ソールズベリー伯
サー・トマス・ネヴィル(捕虜)
サー・ジョン・ネヴィル(捕虜)
戦力
6,000~12,000人 3,000~6,000人
損害
約2,000人 約1,000人
薔薇戦争
ブロア・ヒースの戦い 座標: SJ714352)場所

ブロア・ヒースの戦い(Battle of Blore Heath)は、薔薇戦争の最初の主要な戦いで、1459年9月23日イングランドの西ミッドランズ地域スタッフォードシャーのブロア・ヒースで行われた。

戦闘の経緯

1455年セント・オールバーンズの戦いの後、落ち着かない平和がイギリスで続いていた。ランカスター家ヨーク家の間の和解への試みがギリギリの平和を維持していたのだ。だが、双方とも徐々に用心深くなり、武装を進めていった。マーガレット王妃は彼女を支持する貴族達に銀の白鳥の飾りを配って、国王(ヘンリー6世)に対する支援を訴え続けた(実際ヨーク公リチャードの下には、国王への反乱は厳罰となるにもかかわらず、多くの支持者が集まっていた)。

ヨークシャーYorkshire)のミドルハム城に本拠を置くヨーク派(司令官:ソールズベリー伯リチャード)は、シュロップシャー(Shropshire)のラドロー城のヨーク派主要軍と連携する必要があった。そのためにソールズベリー伯がミッドランズ北東部のミドルハム城からミッドランズ南西部のラドロー城に向けて行進した際、マーガレット王妃はオードリー卿ジェームス・トゥチェットにそれを捕らえるよう命じた。

オードリー卿はブロア・ヒースの荒野でこれを待ち伏せることにし、1459年9月23日の朝、ソールズベリー伯の進軍に対面する形で、ブロア・ヒースの南西の大きな生垣の後ろに防御的な陣を張った。

戦闘の経過

ヨーク派の偵察隊は生垣の頂上に見えるランカスター家の旗を見て、すぐにソールズベリー伯に急を報告した。オードリー卿の軍が森林地帯から出現したとき、ソールズベリー伯は自分たちに倍する敵軍勢が待ち構えていたことを悟り、すぐさまランカスター軍の弓の射程圏外に出るよう指示した。彼は右側面の兵を守るために、補給用の荷馬車を密集させて右翼を保護し、円形のフォーメーションをとった。総崩れの心配から、ヨーク派軍人はこの場所を死に場所と覚悟して、地面にキスしたとも伝えられている。

両軍は約300mの距離を隔てて対峙し、広くて流れの急な小川が間を流れていた。小川は見るからにオードリー卿の進軍を阻んでいた。

最初、双方の指揮官は流血を避けるために停戦の討議を行い、多くの中世の戦いと同様に、両軍の弓兵同士の大弓での決闘によって勝敗を決めることになった。だが、ブロア・ヒースでの両軍の間の距離のため、この方法は決定的ではないと分かった。

そこでソールズベリー伯は、小川を渡っての攻撃が自殺的行為であると知っていたので、敵の方から彼を攻撃するよう促す策略を用いることにした。彼は自身の軍の中央部を、ランカスター派が「敵が撤退している」と信じ込むほどに後退させた。これを見たランカスター派は、装甲部隊の渡河による突撃に着手した。確実に渡り始めたところでソールズベリー伯は兵を戻し、渡河しかけたときを見計らってランカスター派を捕らえるよう命じた。この渡河突撃はオードリー卿の本来企図した命令ではなかった可能性があるが、ソールズベリー伯にとって非常に有利な、両軍の戦力差を均衡にする効果はあった。この突撃によってランカスター派に多くの死傷者が出た。

ランカスター派は引き下がって、そして再び(恐らく死傷者を救おうと試みて)襲撃を行った。この2度目の攻撃では、さらに多くのランカスター派が小川を渡ったので、ヨーク派はさらに大きな戦果を得ることが出来た。この激しい戦いは、オードリー卿自身が(恐らくエレスメア近くのストックスでロジャー・キーナストンによって)戦死したことで終止符を打たれた。

オードリーの死によってランカスター派の指揮は、約4,000人の兵を徒歩で指揮していた副司令官のダドリー卿ジョン・サットンに委ねられた。攻撃の失敗もあって、約500人のランカスター派の兵がヨーク派に合流し、味方を攻撃し始めた。残っているランカスター派の抵抗も失敗し、ヨーク派は敵を殲滅するためにただ進みさえすればよかった。

この殲滅戦は、ヨーク派が田舎道を夜通し逃げる敵を追いかけるという形で夜通し行われた。

ソールズベリー伯はランカスター派増援隊が近くにいることを心配していたので、ラドローへの進軍を望んでいた。そのため彼は追撃を中止し、ドライトンの丘の中腹で野営をした(後にこの場所には彼の名前がつけられることとなる)。兵を先に進めたいもののランカスター派の増援部隊の襲撃も避けたいソールズベリー伯は、ヨーク派がブロア・ヒースの上に未だ残留しているとランカスター派に見せかけるために、地元の修道士を雇って定期的に大砲を発射させた。

この戦闘で少なくとも3,000人が死亡し、ランカスター派の死亡者は2,000人以上といわれる。地元の言い伝えによれば、この小川ではその後3日間血が流れ続けたとされる。

マーガレット王妃の逃避

伝説によると、オードリー卿の敗北が決定的になる前、マーガレット王妃はこの戦闘を近くのマクルストーン村(Mucklestone)の教会から見ていたと伝えられている。ランカスター家の敗北が決定的になったとき、彼女は彼女の逃避を隠すためにウィリアム・スケルホーン(William Skelhorn)という鍛冶屋を雇って、彼女の馬の蹄鉄を裏返しにさせたといわれる。この鍛冶屋の金床は、このときの記念にマクルストーンの教会の墓地に置かれている。

その後のブロア・ヒース

この戦いの後、オードリー卿が死んだ場所を表す十字架がブロア・ヒースに立てられた。それは1765年に石の十字架に取り替えられた。この十字架は、今もブロア・ヒースに立っている。オードリー卿の遺体は、ダービシャーのダーレイ・アビィ村(Darley Abbey)に埋葬された。

ブロア・ヒースでは、毎年9月にこの戦いの記念日が制定されている。

参考文献

  • トレヴァー・ロイル著、陶山昇平訳『薔薇戦争新史』彩流社、2014年。

「Battle of Blore Heath」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

Battle of Blore Heathのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Battle of Blore Heathのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのブロア・ヒースの戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS