ラドフォード橋の戦いとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > できごと > 事件・事故 > 戦争・紛争 > 薔薇戦争の戦闘 > ラドフォード橋の戦いの意味・解説 

ラドフォード橋の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/25 06:35 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ラドフォード橋の戦い

現在のラドフォード橋
戦争薔薇戦争
年月日1459年 10月12日
場所イングランドシュロップシャーのラドフォード橋
北緯52度21分49.5秒西経2度43分8秒
結果:ランカスター派の勝利
交戦勢力
ヨーク家 ランカスター家
指導者・指揮官
ヨーク公
ソールズベリー伯
ウォリック伯
マーチ伯
ラットランド伯
アンドリュー・トラロップ(離反)
ヘンリー6世
バッキンガム公
ノーサンバランド伯
シュルーズベリー伯
ウィルトシャ―伯
デヴォン伯
バーモン子爵
戦力
不明 不明
損害
不明 不明
薔薇戦争

ラドフォード橋の戦い(Battle of Ludford Bridge)は、薔薇戦争の早い時期にヨーク派が最悪の損害をこうむった戦いである。

ブロア・ヒースの戦いでの勝利の後、ヨーク派はウスターに向かって進軍した。途中でヘンリー6世指揮する強大なランカスター軍に遭遇すると、すぐに拠点のあったシュロップシャー、ラドロー(Ludlow)のラドフォード橋まで後退した。

1459年10月12日、カレー方面軍司令官のアンドリュー・トラロップが部下を連れてランカスター派に寝返りし、ヨーク派の軍事・戦略情報と交換に恩赦を願い出た。これによってヨーク派は約3分の1と圧倒的な数的不利に追い込まれた。そのためその夜、ヨーク公と2人の息子、それからウォリック伯ソールズベリー伯は、勝ち目のないため撤退し、アイルランド(ヨーク公とラットランド伯)、あるいはカレー(ソールズベリー伯、ウォリック伯、マーチ伯)へ落ち延びた。

翌朝、指揮官がいなくなったことを知ってヨーク派は雲散した。ヨーク派の拠点であるラドローはランカスター派に略奪されるがままだったという。

ラドフォード橋の戦い 座標: SO510742)場所




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ラドフォード橋の戦い」の関連用語

ラドフォード橋の戦いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ラドフォード橋の戦いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのラドフォード橋の戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS