グレイ伯に叙される前のグレイ家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 17:53 UTC 版)
「グレイ伯爵」の記事における「グレイ伯に叙される前のグレイ家」の解説
グレイ家は、1319年からイングランド北部ノーサンバーランド州のホーウィック(英語版)を領有するようになり、以降1963年の第5代グレイ伯爵チャールズ・グレイ(英語版)の死去まで同地を本拠とした。 初代グレイ伯チャールズ・グレイの12代前の先祖であるトマス・グレイ(英語版)(1384–1415)は、サウサンプトンの陰謀(英語版)事件で処刑され、弟ジョン・グレイ(英語版)(1384–1421)が代わって領地を継承。ジョンは百年戦争に従軍し、1419年1月31日にノルマンディー貴族タンカーヴィル伯爵(Comte de Tancarville)に叙された。これがグレイ家が得た最初の貴族称号だったが、その孫の第3代タンカーヴィル伯爵リチャード・グレイ(英語版)(1436-1466頃)は、薔薇戦争のラドフォード橋の戦いで第3代ヨーク公リチャード・プランタジネット側に付いたため、称号をはく奪された。 次にグレイ家で貴族称号を得たのは、初代グレイ伯の6代前の先祖エドワード・グレイ(-1632)の兄弟の子であるウィリアム・グレイ(英語版)(-1674)である。彼は1619年6月15日にイングランド準男爵位の(チリナムの)準男爵(Baronet"of Chillingham")に叙せられた後、ノーサンバーランド選挙区(英語版)選出の庶民院議員を務め、1624年2月11日にイングランド貴族爵位ノーサンバランド州におけるウェークのグレイ男爵(英語版)(Baron Grey of Warke, of Warke in the County of Northumberland)に叙せられた。その孫であるウェークの第3代グレイ男爵フォード・グレイ(英語版)(1655-1701)は、1695年6月11日にイングランド貴族爵位グレンデール子爵(Viscount Glendale)とタンカーヴィル伯爵(Earl of Tankerville)に叙されたが、男子がなかったためこれらの爵位は彼一代で廃絶した。ウェークのグレイ男爵位もその弟ラルフ・グレイ(英語版)(1661頃-1706)の死去をもって廃絶している。
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