BP・KRAFT・トレノ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/18 08:26 UTC 版)
「KRAFT」の記事における「BP・KRAFT・トレノ」の解説
1999年 1999年に参戦を開始したトレノ。ドライバーは前年GT500に所属していた田中実と、ビデオオプションに当時登場していた雨宮栄城のコンビ。ボディ外見こそ86その物であり、サスペンション形状はレギュレーション上ベース車のままである必要があったのだが、それを逆手に取り、リアのリジットサスペンションはフォーミュラカー仕様のインボードタイプにされ、エンジンもスープラが500クラスで使用していた3S-GTEに換装されたものだった。 ただ、ロールケージを組み込んでもわずか780kgしか無かったマシンには、最低重量規定に合わせて300kg近い鉛板を積む必要があり、またボディ作りも予めロールケージとシャシーの上からボディを架装すると言う、平岡曰く「ラジコンみたいな作り方」をしたマシンだったが、それでもF3マシンを中心としたパーツ流用などで、総額1,000万円程度でマシンを製作した。 第2戦の富士からエントリーするも、車両製作が間に合わず、本格参戦となったのは第3戦のSUGOラウンドからとなった。雨宮勇美や坂東正明など、他チームの監督からも注目を集めたマシンは、初戦こそポイント圏外に終わるも第4戦のMINEから3戦連続で入賞を果たし、上位陣とも渡り合える結果となった。 2000年 ドライバー陣では雨宮から松田晃司に交代し、熟成が進んだ2年目にさらなる飛躍が期待された。しかし、急速に高速化が進むJGTCの開発スピードに対応できず、入賞2回、わずか8ポイントの獲得に留まった。
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