ARTS設立までの経緯
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「テレビゲームソフトウェア流通協会」の記事における「ARTS設立までの経緯」の解説
ARTS以前に存在した同様の団体としては、1992年に設立されたジャパンテレビゲームチェーン協会(JAG)が存在するが、ARTSは店舗単位で構成される団体であるのに対してJAGはフランチャイズチェーン(FC)単位で構成される団体である点が異なっている。 1994年12月、ソニー・コンピュータエンタテインメント(現・ソニー・インタラクティブエンタテインメント)がプレイステーション(PS)を発売するに際して「再販売価格維持」「中古品売買禁止」「同業他社への在庫転売禁止」を強制したのに対し、JAG加盟のFC間で路線対立が表面化。特に1996年5月に、ソニーの私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下、独禁法)違反容疑が浮上して以降、PS用ソフトの利幅が薄く、中古を扱わなければ経営が成り立たないとして、ソニーに反旗を翻すべきとする意見と、PSが主流ハードになったら新品の掛け率は引き下げられるだろうからそれまでの辛抱だと言う意見が真っ向から対立し、JAGは空中分解することになった。その後、前者はアクト(わんぱくこぞう)を中心にARTSを結成し、後者は明響社(TVパニック)やブルートを中心にテレビゲームビジネス協議会を結成する。 ARTS結成の直接的契機となったのは、ソニーの独禁法違反容疑浮上に対してソニーを支援すべくPSのサードパーティーであるカプコン、コナミ(現・コナミデジタルエンタテインメント)、光栄(現・コーエーテクモゲームス)の3社が仙台地方裁判所に起こした仮処分申請である。この仮処分申請は、東北地方でFC・シーガルを展開するコアーズを相手取り、中古ゲームソフトの売買禁止を求めるものであった。 これに対して、徹底抗戦派のFC本部や個人経営店舗が結集してコアーズを支援し、裁判所に上申書を提出した結果、この仮処分申請は取り下げられた。しかし、この仮処分取り下げはコンピュータエンターテインメントソフトウェア協会(CESA)及びコンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)のさらなる態度硬化を招き、販売店側もこれに対抗すべく、新たな団体を結成する必要に迫られた。こうして1996年12月11日にARTSが結成され、JAGの理事長であったアクト代表取締役社長・新谷雄二(後の日本テレビゲーム商業組合理事長)が代表理事に選出された。
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