ARPANETの退役と後世への影響
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「ARPANET」の記事における「ARPANETの退役と後世への影響」の解説
NSFNetの拡大にともなってARPANETは縮小していき、IMPやTIPも消えていったが、一部のIMPは1989年までサービスを継続した。 BBNとARPAが共同で出版した ARPANET Completion Report では、次のように結論付けている。 最後にふさわしい言葉として次のように述べたい。ARPANET計画はそのネットワーク自体から湧き出るように計算機科学の発展と強化に資する強く直接的なフィードバックをもたらした。 1990年2月28日にARPANETが正式に退役した後、ヴィントン・サーフは「ARPANETの挽歌」(Requiem of the ARPANET) と題して、次のように哀悼の意を表した。 It was the first, and being first, was best, but now we lay it down to ever rest.Now pause with me a moment, shed some tears.For auld lang syne, for love, for years and years of faithful service, duty done, I weep. Lay down thy packet, now, O friend, and sleep. —Vinton Cerf これは最初(の技術)であり、そして最初であるがゆえに、最高のものでした。しかし、今、私達をそれを置き、永遠の眠りにつかせようとしています。さあ、黙祷を捧げ、涙を流しましょう。 オールド・ラング・サインのために、愛のために、何年も、何年もの間、(果たされた)その信頼のおける奉仕、そして果たされた義務のため、私は涙を流します。なんじのパケットを置き、今こそ、ああ友よ、そして眠れ。 —ヴィントン・サーフ 1988年、UCLAの計算機科学教授レナード・クラインロックを議長とする委員会の国会への報告を受け、上院議員アル・ゴアは High Performance Computing and Communication Act of 1991 という法案を作成。この法案が1991年12月9日に可決され、National Information Infrastructure (NII) が生まれ、これをアル・ゴアが「情報スーパーハイウェイ」と呼んだ。2009年、IEEEマイルストーンにARPANET関連で2件が選ばれた。
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