ACTミニ・シアター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/25 05:45 UTC 版)
| 種類 | 事業場 |
|---|---|
| 市場情報 | 活動休止 |
| 略称 | ACT |
| 本社所在地 | 〒169-0051 東京都新宿区西早稲田3-14-2 早稲田通りビル2階 |
| 設立 | 1970年代 |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | 映画の興行、フィルム・アーカイヴ |
| 代表者 | 沢健司 |
| 主要株主 | 有限会社アクト |
| 主要子会社 | ACT SEIGEI THEATER |
ACTミニ・シアター(アクトミニ・シアター、1970年代 開館[1] - 2000年ころ 閉館[2])は、かつて存在した日本の映画館である[3]。新作上映を中心としないいわゆる名画座であり、16mmフィルムベースによるサイレント映画以来のフィルム・アーカイヴを持ち、同アーカイヴ所蔵以外の作品も上映した。同経営によるACT SEIGEI THEATER[4]についても記述する。
略歴・概要
正確な年月日は不明であるが、1970年代のある時期、映画人を含めた人々の資金的支援を受けて開館する[1]。経営は沢健司を代表とする有限会社アクトである[3]。
同館が入居していた「早稲田通りビル」は早稲田通りに面しており、1969年(昭和44年)11月竣工の鉄骨6階建ての住居用も含めた雑居ビル[5]で、1階には早稲田通郵便局が現在も存在し、その右脇の階段を上ると入口があった[1]。客席に椅子席はなく、靴を脱いで入場し、カーペット敷のフラットフロアに座り、寝そべる形式なのが特徴であった[1][2]。プログラムとして「ACT」を会員・観客等を対象に発行・配布した[1]。
時期によって制度が異なるが、「ACT シネ・フレンド」という会員制度を設け、年会費によってフリーパス、半額等の特典があった[6]。
1977年(昭和52年)6月、映画雑誌『シネ・フロント』6月号に「ACTミニシアター訪問」として、穂積純太郎のルポルタージュにより同館が紹介される[7]。
1986年(昭和61年)には、フィルム・アーカイヴのほかに、今井正、新藤兼人、山田洋次、能登節雄ら映画人を世話人として、書籍等の資料をもつ映画資料館を開設した[1][8]。同時期に、前川つかさのマンガ『大東京ビンボー生活マニュアル』(『モーニング』連載、1986年 - 1989年)に、同館をモデルとしたとされるフラットフロアの映画館が登場する[1]。1988年(昭和63年)9月には、映画雑誌『シネマ・ジャーナル』7号に代表の沢健司がインタヴューされ、同館が紹介される[9]。
1986年(昭和61年)には、池袋にACT SEIGEI THEATERを開館、1994年(平成7年)9月には、雑誌『太陽』で紹介された[10]。
1990年代には、俳優・監督別の特集上映「日本映画をおもしろくした100人」を長期にわたり行なった[6][11]。
1999年(平成11年)には、池袋のACT SEIGEI THEATERが閉館。西早稲田のACTミニシアター本館は会員に向けて一口3万円で資金集め(カンパ)を行うも好転せず、2000年(平成12年)頃に閉館した[2]。
データ
- 所在地 : 169-0051 東京都新宿区西早稲田3-14-2 早稲田通りビル2階 [3][12]
- 席数 : 40席 [3](座席はなく、フラットフロア [1])
- 代表・支配人 : 沢健司 [3]
- 経営母体 : 有限会社アクト [3]
上映したおもな映画
出典のみられるおもな映画である。
- 小津安二郎『大学は出たけれど』[11]、『落第はしたけれど』[11]、『生れてはみたけれど』[11]、『浮草』[11]、『小早川家の秋』[11]
- 成瀬巳喜男『めし』[11]、『石中先生行状記』[11]
- 杉江敏男『香港クレージー作戦』[11]、
- 坪島孝『クレージー作戦 くたばれ!無責任』[11]
- 杉江敏男『無責任遊侠伝』[11]
- 古澤憲吾『ホラ吹き太閤記』[11]、『クレージー大作戦』[11]
- 衣笠貞之助『ある夜の殿様』[11]
- 山本嘉次郎『馬』[11]
- 市川崑『プーサン』[11]
- 小林正樹『あなた買います』[11]
- 鈴木清順『けものの眠り』[13]
- ロベルト・ロッセリーニ『アモーレ』[11]、『無防備都市』[11]
フィルム・アーカイヴ
下記のようなサイレント映画を中心とした16mmフィルム版のプリントを所蔵し、「古典映画コレクション」として、繰り返し低料金で上映した[6]。アーカイヴの現在の所在は不明である。
- セルゲイ・エイゼンシュテイン『戦艦ポチョムキン』、『ストライキ』
- ジャン・コクトー『オルフェ』
- ロベルト・ヴィーネ『カリガリ博士』
- D・W・グリフィス『イントレランス』
- ルイス・ブニュエル『アンダルシアの犬』、『忘れられた人々』
- ルネ・クレール『幕間』
- トッド・ブラウニング『フリークス』
- ジャン・ルノワール『大いなる幻影』、『どん底』
- アンジェイ・ワイダ『灰とダイヤモンド』
- ジュリアン・デュヴィヴィエ『舞踏会の手帖』
- フェデリコ・フェリーニ『カビリアの夜』
- ヴィットリオ・デ・シーカ『自転車泥棒』
- カール・テオドア・ドライヤー『裁かるゝジャンヌ』
- アルフレッド・ヒッチコック『暗殺者の家』
- ジョルジュ・メリエス『月世界旅行』
ACT SEIGEI THEATER
| 種類 | 事業場 |
|---|---|
| 市場情報 | 消滅 |
| 略称 | SEIGEI |
| 本社所在地 | 〒171-0022 東京都豊島区南池袋1-13-21 和泉屋ビル地階 |
| 設立 | 1991年6月15日 |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | 映画の興行 |
| 代表者 | 沢健司 |
| 主要株主 | 有限会社アクト |
ACT SEIGEI THEATER(アクト セイゲイ シアター、1986年6月15日 開館 - 1999年 閉館)は、かつて存在した日本の映画館である[4]。イギリスの映画監督デレク・ジャーマンの作品を特集したオープン記念企画「デレク・ジャーマン映画祭」で幕を開けた。
データ
関連事項
関連書籍
- 『大東京ビンボー生活マニュアル』、前川つかさ、講談社、文庫上 2005年 ISBN 4063721043、下 2005年 ISBN 4063721051
註
- ^ a b c d e f g h 〈ACTミニシアター〉の昼下がり 前篇、南陀楼綾繁、早稲田古本ネット、2010年11月14日閲覧。
- ^ a b c 深田晃司 (2020年5月3日). “ミニシアターとわたし 第2回「ACTミニ・シアターの記憶」”. 映画ナタリー. ナターシャ. 2025年10月25日閲覧。
- ^ a b c d e f 『映画館名簿 1999年版』、『映画年鑑 1999年版』付録、編集日本映画製作者連盟配給部会、発行時事映画通信社、1998年12月1日、p.29.
- ^ a b c d e f 『映画館名簿 1999年版』、p.32.
- ^ 早稲田通りビル、クオラ不動産、2010年11月14日閲覧。
- ^ a b c 高田馬場ACTミニシアター(チラシ画像あり)、女おいどん日記、2010年11月14日閲覧。
- ^ バックナンバー 創刊号から300号まで、シネ・フロント、シネ・フロント社、2010年11月14日閲覧。
- ^ 『キネマ旬報 1986年1月上旬号』(第926号)、キネマ旬報社、1986年1月、p.40.
- ^ シネマジャーナル Vol. 7、シネマ・ジャーナル、2010年11月14日閲覧。
- ^ 『太陽』第399号、平凡社、1994年9月、p.40.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 〈ACTミニシアター〉の昼下がり 後篇、南陀楼綾繁、早稲田古本ネット、2010年11月14日閲覧。
- ^ ACTミニシアター、演劇ライフ、2010年11月14日閲覧。
- ^ ACTミニシアター、電脳旋風児 映画が呼んでるぜ、2010年11月14日閲覧。
- ^ ACT・SEIGEI-THEATER、演劇ライフ、2010年11月14日閲覧。
- ^ “PMO池袋II”. 賃貸オフィスビル情報. 野村不動産. 2025年10月25日閲覧。
外部リンク
- ACTミニシアター - 演劇ライフ
- ACT・SEIGEI-THEATER - 演劇ライフ
固有名詞の分類
| 東京都の劇場 |
JR東日本アートセンター自由劇場 参宮橋TRANCE MISSION ACTミニ・シアター ヨシモト∞ホール THEATER/TOPS |
| かつて存在した日本の劇場 |
うめだ花月 松戸常盤館 ACTミニ・シアター オペラ館 守田座 |
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