デレク・ジャーマンとは? わかりやすく解説

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デレク・ジャーマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/17 10:17 UTC 版)

デレク・ジャーマン
Derek Jarman
生年月日 (1942-01-31) 1942年1月31日
没年月日 (1994-02-19) 1994年2月19日(52歳没)
出生地 イングランドロンドン
死没地 イングランドロンドン
国籍 イギリス
職業 映画監督
 
受賞
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(特別個人貢献賞)
1986年カラヴァッジオ
テディ賞
1988年『ラスト・オブ・イングランド』
1993年ウィトゲンシュタイン
テディ賞 審査員特別賞
1992年エドワードII
国際映画批評家連盟賞
1992年『エドワードII』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
インディペンデント/実験的作品賞
1988年『ラスト・オブ・イングランド』
その他の賞
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デレク・ジャーマン(Derek Jarman、1942年1月31日 - 1994年2月19日)は、イギリス映画監督、舞台デザイナー、作家園芸家

来歴

1942年にミドルセックス州アイルランド系の家庭に生まれた。

ロンドン大学キングス・カレッジ美術などを学んだ後、映画監督ケン・ラッセルのもとで美術スタッフを務める。その後、スーパー8ミリで撮影した作品 "In the Shadow of the Sun英語版" で映画監督としてデビュー。特異な映像作品が先端的であるとして若者の間でも徐々に評判を呼び、1980年代以降はロックミュージックのミュージッククリップなど映像制作でも活躍した(ザ・スミスペット・ショップ・ボーイズなど)。また、Coilサイモン・フィッシャー・ターナーなどといった、まだ当時は無名のミュージシャンを自らの映画音楽の担当として起用し、彼らの才能を発掘した。

主に、同性愛や荒廃した近未来イメージ、耽美性などをテーマにした作品が多い。また、ルネサンスの画家カラヴァッジオや哲学者ウィトゲンシュタイン、イングランド国王エドワード2世といった歴史上の人物を映画の題材にした。

生前、自らがゲイであることを公表し、1986年HIVへの感染が判明。1994年エイズにより亡くなった。死の前年に制作された『BLUE ブルー』は、自らを蝕んだ病エイズをテーマにした作品である。

作品

映画

著書

  • 「モダン・ネイチャー/デレク・ジャーマンの日記」 Modern Nature
関美冬訳、キネマ旬報社、1992年 ISBN 978-4873760483
  • 「危険は承知/デレク・ジャーマンの遺言」 At Your Own Risk
大塚隆史訳、アップリンク河出書房新社、1995年 ISBN 978-4309901503
  • 「derek jarman’s garden with photographs by howard sooley」
伊藤延司訳、光琳社出版、1997年 ISBN 978-4771302419

脚注

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