71-217
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/14 08:17 UTC 版)
RVZ-7のうち、最初に製造された車両は1976年にソビエト連邦国内の鉄道車両に向けて制定された形式番号に基づき、「71-217」とも呼ばれていた。まず1973年から1974年にかけて最初の試作車2両が製造され、リガ車両製作工場内やモスクワ(モスクワ市電)での試運転を経て1976年以降はゴーリキー(現:ニジニ・ノヴゴロド)のゴーリキー市電で営業運転に使用された。更に同年には窓配置を始めとした車体構造に一部変更を加えた4両の試作車も作られ、同じくゴーリキー市電に投入された。 ところが、試運転の開始当初からRVZ-7(71-217)は不具合が相次ぎ、当初計画されていた総括制御についても先頭車両からの集電装置の一括操作が出来ない等多数の不具合が起きた事で中止を余儀なくされた。にもかかわらず、回生ブレーキによる消費電力の削減効果が見込まれた事もあり、リガ車両製作工場は1977年から1978年にかけて10両の量産車を製造した。そのうち7両はゴーリキー市電に、3両はカザンの路面電車であるカザン市電に導入されたが、後にゴーリキー市電向け車両のうち2両はカザン市電に移籍した。双方とも架線の状態を考慮し集電装置はシングルアーム式パンタグラフではなくビューゲルを用いた。 だが、営業運転開始後もRVZ-7(71-217)の不具合の頻発は収まらず、各種装置からの騒音や制御装置の故障、主電動機の発火などの事態が相次ぎ、平均故障間隔も同時期の車両(タトラT3:2,960 km、KTM-5:1,100 km)と比べて遥かに短い233 kmを記録していた。更に加減速度を始めとした性能についても設計上の数値と比べ劣っており、特に制動距離は従来の車両よりも長くなっていた。 その結果、ゴーリキー市電では1980年をもって全車とも営業運転を離脱し、それ以降も予備部品をリガ車両製作工場から購入する形で営業運転に使用し続けたカザン市電からも1985年3月までに廃車された。そのうち前者で廃車になった車両のうち6両はノヴォシビルスク(ノヴォシビルスク市電(ロシア語版))に譲渡されたが、こちらも短期間の使用に終わった。
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