5年ぶりの2人の再会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:07 UTC 版)
京大卒業後、成瀬家の尽力もあり時事新報社の取材記者となった菊池は、1917年(大正6年)1月に戯曲「父帰る」を同人誌の第四次『新思潮』に発表し、春には同郷の資産家で旧高松藩士・奥村五郎の娘の包子と結婚した。いつまでも成瀬家の世話になることは心苦しく、実家への送金も月給だけではきつかった菊池は、「バアナード・ショオが金のある未亡人と結婚したやうに、財力のある婦人と結婚すること」を考え「金のある妻か、でなければ職業婦人」を求めていた。 その後1918年(大正7年)に『中央公論』に発表した小説「無名作家の日記」や「忠直卿行状記」が高い評価を受け、菊池は文壇での地位を確立した。 事件から5年後の1918年(大正7年)6月、佐野が父親の縁故で大連にあった南満州鉄道の調査課図書館に転職する際、日本を離れる前に菊池と久米正雄に銀座の服部時計店の前で遭遇し、近くのカフェで懇談している。菊池は同年11月に、この一件を機に佐野を題材にした短編小説「青木の出京」を『中央公論』に発表した。 その小説によれば、佐野は北国に旅立つ前に菊池に会うために時事新報社を訪ねたとされる。「青木の出京」の中では久米の存在はなく、菊池は再会時の複雑な愛憎共存な心境を綴っているが、実際同席していた久米は、2人が会ったときに昔どおりの「情緒纏綿」な親密な感じに戻ったことに驚いたという。
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