3大陸横断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/02 16:24 UTC 版)
「サーブ 90 スカンディア」の記事における「3大陸横断」の解説
1949年8月16日に2回目の販売促進飛行を開始した。各々400リットルの追加燃料タンク6個を搭載しSE-BCAは3つの大陸を巡るツアーを開始した。これはこの機の姿がスウェーデンで見られた最後であった。 ツアーの最初はパリへ行きそこで追加燃料タンクを外し、8月23日にSE-BCAはアジス・アベバ(エチオピア)に到着した。翌日皇帝ハイレ・セラシエが販売促進ツアーに同行した。今回のツアーには、当時エチオピア空軍のコンサルタントをしていたカール・グスタフ・フォン・ローゼンも参加した。アテネ、カイロ、ポートスーダン、ルクソールも途中で訪問した。このツアーでは摂氏50度という厳しい温度条件(高温では空気密度が下がりエンジン出力が低下する)も経験したが機には何の問題も無かった。機がパリに戻ったときに追加燃料タンクが再び取り付けられた。 9月4日にSE-BCAはプラット・アンド・ホイットニー社の本拠地であるコネチカット州のハートフォードに向けてパリを出発した。途中グリーンランド、アイスランド、プレストウィックを経由して3日掛かりでハートフォードに到着した。そこでは追加燃料タンクが外され、再度内装が取り付けられた。全米を巡る大規模な販売促進プログラムが組まれ、ニューヨーク、ワシントン、シカゴ、マイアミ、ロサンゼルス、ヒューストンに降り立った。ロサンゼルスではハワード・ヒューズがスカンディアの操縦桿を握り、その設計を賞賛した。9月14日にスカンディアはハートフォードに戻ってきた。
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