3名蔓の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 06:00 UTC 版)
全国和牛登録協会初代会長 羽部義孝博士(京都大学教授)の著書『蔓の造成とつる牛』(1948年)は、古蔓を現地調査しその詳細を記録したものとして、最初にして唯一の貴重な史料である。そのなかで、有名にして優良なる最古級の蔓として、以下の4蔓を掲げている。特に、竹の谷蔓・岩倉蔓・周助蔓は名実あい伴っているものとして、3名蔓と呼称した。 竹の谷蔓 1772年、備中阿哲郡で造成を開始し、1830年始祖牛誕生。 ト蔵蔓 1835年頃、出雲仁多郡で竹の谷蔓牛を購入し造成を開始。 岩倉蔓 1843年頃、備後比婆郡で造成を開始。仁多郡の雌牛を導入したとする説あり。 周助蔓 1848年前後、但馬美方郡で創成。 尚、3名蔓は竹の谷蔓を除き、本書の調査時点(昭和16年)で、既にその実質が失われたことが判明している。以下に該当部分を引用する。 (岩倉)六右衛門の次男米太郎は祖父の業を継いだが、明治37年頃、同郡八幡村の藤原某が伯耆から移入したる雄牛を購入し、これを岩倉牛の雄牛として使用したところ、多くは白角乳白の子を産し好結果を得なかったのみでなくかえって該系統を劣化せしめたという。該当雄牛は白角で体格大きく性質粗暴なりしと伝えられる。 (その3 岩倉蔓 三、蔓の発達、変遷より) (前略)交配すべき種雄牛は自ら選択飼養することなく、全く他に依存するの有様であったから、交配に際しても、おそらく合理性を欠き、したがって次第に系統としての実質を失い、ついに後代においてはその名のみ残って直系を喪失するに至ったものであろう。 (その5 周助蔓 四、考察より)
※この「3名蔓の概要」の解説は、「竹の谷蔓」の解説の一部です。
「3名蔓の概要」を含む「竹の谷蔓」の記事については、「竹の谷蔓」の概要を参照ください。
- 3名蔓の概要のページへのリンク