27回の拷問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/05 14:39 UTC 版)
江戸時代の裁判は、物証や証言がいくらあっても、容疑者自身の自白が無い限り、罪状・処罰が確定しない。『御定書』にも殺人・放火・盗賊・関所破り・謀書謀判(文書偽造)の5つは、証拠が明白であっても当人の自白が不可欠と定められている。証拠が揃っていながら犯行を認めない吉五郎を自白させるため、拷問が行われることになった。 吉五郎の取り調べを最初に担当した吟味方与力・東条八太郎が拷問を開始したのは天保5年7月21日のことである。以後、天保7年までの3年間に以下のとおり、計27回の拷問が繰り返された。 天保5年4月12日入牢 7月21日 縛敲(笞打)・石抱5枚 8月11日 縛敲・石抱5枚 9月16日 縛敲・石抱7枚 9月19日 縛敲・石抱7枚 10月21日 拷問前に自白 天保6年4月9日 縛敲・石抱8枚 4月11日 縛敲・石抱8枚 4月13日 縛敲・石抱8枚 5月18日 縛敲・石抱9枚 閏7月1日 - 18日 計8回 縛敲・石抱9枚 閏7月27日 縛敲・石抱7枚 8月18日 石抱7枚(6時間実施) 9月22日 縛敲・海老責(4時間放置) 11月11日 縛敲・石抱8枚 12月2日 海老責 天保7年2月13日 縛敲・石抱9枚 3月2日 縛敲・石抱9枚 4月3日 縛敲・石抱9枚 4月11日 釣責 4月21日 釣責(5時間実施) 5回目の拷問の日である天保5年10月21日、拷問を開始する前に吉五郎は櫛を盗んだことを認めた。しかし、その3日後の10月24日、激しい風雨が江戸を襲った夜に吉五郎は脱獄をし、逃走してしまった。女の家に潜伏していた吉五郎を、南町奉行所が捕縛したのは翌天保6年3月のことであった。南町奉行の筒井政憲は吉五郎を100回の重敲にかけた後、その身柄を北町奉行所に戻した。吟味方与力が脱獄前の自白を元に吉五郎の口書(くちがき、供述調書)を作成しようとしたところ、吉五郎は再び犯行を否認。そのため、4月9日から拷問を再開することとなった。 縛敲と石抱を繰り返しても自白を得られなかった北町奉行所は、9月22日に海老責を行い、同年12月2日にも再度海老責を試みたが、吉五郎は自白しなかった。翌天保7年、北町奉行榊原忠之は、釣責を実施することにし、老中の許可を得た。文化5年(1808年)以来、29年ぶりに実施された釣責であったが、4月11日と4月21日の2回にわたって行われながら、吉五郎を自白させるには至らなかった。
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