27年間の投獄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:37 UTC 版)
「ネルソン・マンデラ」の記事における「27年間の投獄」の解説
リヴォニア裁判と呼ばれるこの裁判で、マンデラは1964年に国家反逆罪で終身刑となり、ロベン島に収監された。1969年5月には、イギリス人傭兵の有志が集まり、ネルソンを救出する作戦が立てられたことがあったが、南アフリカ側への情報漏れで中止されている。1982年、ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移監。収監は27年にも及び、マンデラはこの時期に結核を始めとする呼吸器疾患になり、石灰石採掘場での重労働によって目を痛めた。収監中にも勉学を続け、1989年には南アフリカ大学の通信制課程を修了し、法学士号を取得した。また、アパルトヘイトの主要勢力であるアフリカーナーとの対話を予測し、アフリカーンス語やラグビーの知識を身につけたのも獄中でのことだった。 獄中にあってマンデラは解放運動の象徴的な存在とみなされるようになり、マンデラの釈放が全世界から求められるようになっていった。1982年にはロベン島からポールスモア刑務所に移送され、ロベン島時代よりはやや環境が改善された。1988年にはビクター・フェルスター刑務所に再移送された。1989年にはピーター・ウィレム・ボータ大統領がケープタウンに彼を招き、会見を行った。1989年12月にも当時の大統領フレデリック・デクラークと会談しているが、この時はまだ獄中から釈放されることはなかった。
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