2011年FIFA会長選挙
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「ゼップ・ブラッター」の記事における「2011年FIFA会長選挙」の解説
詳細は「:en:61st FIFA Congress」を参照 2011年に、FIFA会長の選挙予定が組まれると、ブラッターは同選挙において4期連続を目指す現職候補となった。2011年3月29日にChangeFIFAという組織が、元チリのディフェンダーで3年連続の南米サッカー年間最優秀選手であるエリアス・フィゲロアが会長候補として擁立し、各国連盟にフィゲロアを指名するよう要請した。しかし、その後フィゲロアが「こんな短期間のうちに」「これほど突出した大きな仕事や重要性に値する」事案を自分は扱えないと語り、候補指名を受けないことに決めた。 チューリッヒでの第61回FIFA総会で投票が実施された。唯一の対抗候補者だったカタールのモハメド・ビン・ハマムが、投票直前の5月28日に会長選挙から辞退した。 ビン・ハマムも1998年と2002年の会長選挙運動でブラッターを支持していたが、FIFA実行委員会 (現:FIFA評議会)内部の問題について自分とブラッターが仲違いしたことを認めた。ビン・ハマムとCONCACAFのジャック・ワーナーに対して贈収賄容疑を調査したFIFA倫理委員会は、証拠がないため、ブラッターが贈収賄に関して知りつつ何もしなかったという容疑の調査が(ブラッターに)及ぶことはないと発表した。 国際オリンピック委員会 (IOC) がアフリカサッカー連盟会長のイッサ・ハヤトウに対する汚職疑惑を調査すると発表した後、FIFAは「主婦のように」財政を管理しているとブラッターは主張し、IOCを批判した。 他の候補者がおらず、来たる会長選挙でブラッターは反対されることもなく、203票中186票獲得で第4期に再選を果たした。選挙運動中、もしも2011年に再選されるのなら、ブラッターは次から会長に立候補しないと明言した。他の対抗候補者全員が取り止めたり辞退した事実があるにもかかわらず、2011年の選挙を延期せずにFIFA会長としての自分の任期を2015年まで延長させたことで、ブラッターは批判を受けた。
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