2009年連邦議会選挙での敗北、下野
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「ドイツ社会民主党」の記事における「2009年連邦議会選挙での敗北、下野」の解説
大連立に対する国民の評価を問われた2009年9月27日の連邦議会選挙では、社民党は連邦首相候補としてフランク=ヴァルター・シュタインマイアーを推した。しかしメルケル政権下で現実路線を進めたことに対する反発が原因で従来からの支持者が離反したことなどから前回よりも10%以上も得票を減らし、戦後2番目に少ない146議席しか獲得できなかった。この選挙でCDU/CSUと自由民主党の保守・中道右派勢力が過半数を獲得したことから、社民党は11年に及ぶ政権与党の座を失うこととなった。選挙後の臨時党大会でジグマール・ガブリエルが後継党首に選出された。ガブリエルは「アジェンダ2010」以来緊張状態になっていた労組との関係改善や左右両派の和合に努め、党の団結の再強化に尽力した。 2010年5月9日、下野後の最初の大型選挙であるドイツ最大州ノルトライン=ヴェストファーレン州議会選挙(ドイツ語版)では、CDU/CSUと自由民主党の連立与党を過半数割れに追い込み、ハンネローレ・クラフトを州首相とする社民党と同盟90/緑の党による少数連立政権の州政府を発足させた。2011年2月20日に行われたハンブルク市議会選挙(ドイツ語版)では、過半数を獲得して与党となった。2012年5月のノルトライン=ヴェストファーレン州議会選挙(ドイツ語版)ではメルケル政権与党が推進してきた緊縮財政政策に対する批判票を集めて、第1党となった。
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