2001年の国会答弁とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 2001年の国会答弁の意味・解説 

2001年の国会答弁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 22:45 UTC 版)

第一次教科書問題」の記事における「2001年の国会答弁」の解説

2001年3月12日参議院予算委員会において竹村泰子参議院議員は、「侵略進出と書き直したことによってアジア諸国から猛然と抗議が来たわけですよね」と質問した。これに対して町村信孝文部科学大臣は、「そのような報道があったが、誤報であることが判明した書き換え教科書は、その時点では存在していない」と答弁している。 一方同年5月23日衆議院文部科学委員会文部科学省矢野重典初等中等教育局長は、「私ども確認は、五十六年度の検定で、東南アジア侵略について、それを進出改めたという事例があることは事実でございますけれども、今回一連の報道、また一連のそれへの対応は、中国への侵略進出書き改めたという報道誤りだったということ一つ発端があったことは事実でございます」という答弁をした。 同年5月30日衆議院文部科学委員会中西績介衆議院議員はこれらの答弁受けて、「議事録読んでも、町村大臣は、答え中には中国という言葉一口入れていないんです。そして、結局侵略進出というような言葉がなかったという言い方をするんです。ですから、私は、中国ということ入っておれば、そこだけについては十分だ思いますよ。しかし、そのこと入っておらない。ところが、この前確認いたしましたように、文部省文書ちゃんとして残しておりますように、東南アジア場合にはちゃんと、侵略進出と書きかえさせている。同時にまた、たくさんの例があるということこの前私は挙げましたけれども、侵略消していろいろな表現変えておるというのは、これはもう十以上もあるんですね。」と質問した。それに対して岸田文雄文部科学副大臣は「去る五月二十三日の本委員会で、昭和五十六年度に実施した高等学校教科書検定では、日中戦争に関して侵略進出と書き改めた事例はなかったが、日本の東南アジアへの侵略進出と書き改めた事例があったという答弁をしたわけですが、その五二十三日の本委員会での答弁と、先ほど申しました町村大臣との答弁矛盾はしていないというふうに理解しております。」と、中国以外では侵略進出書き換え事実があったことを認め答弁をした。

※この「2001年の国会答弁」の解説は、「第一次教科書問題」の解説の一部です。
「2001年の国会答弁」を含む「第一次教科書問題」の記事については、「第一次教科書問題」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「2001年の国会答弁」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「2001年の国会答弁」の関連用語

2001年の国会答弁のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



2001年の国会答弁のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの第一次教科書問題 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS