2001年の国会答弁
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「第一次教科書問題」の記事における「2001年の国会答弁」の解説
2001年3月12日の参議院予算委員会において竹村泰子参議院議員は、「侵略を進出と書き直したことによってアジア諸国から猛然と抗議が来たわけですよね」と質問した。これに対して町村信孝文部科学大臣は、「そのような報道があったが、誤報であることが判明した。書き換えた教科書は、その時点では存在していない」と答弁している。 一方、同年5月23日の衆議院文部科学委員会で文部科学省の矢野重典初等中等教育局長は、「私どもの確認は、五十六年度の検定で、東南アジアの侵略について、それを進出に改めたという事例があることは事実でございますけれども、今回の一連の報道、また一連のそれへの対応は、中国への侵略を進出に書き改めたという報道が誤りだったということに一つの発端があったことは事実でございます」という答弁をした。 同年5月30日の衆議院文部科学委員会で中西績介衆議院議員はこれらの答弁を受けて、「議事録を読んでも、町村前大臣は、答えの中には中国という言葉は一口も入れていないんです。そして、結局、侵略を進出というような言葉がなかったという言い方をするんです。ですから、私は、中国ということが入っておれば、そこだけについては十分だと思いますよ。しかし、そのことは入っておらない。ところが、この前も確認いたしましたように、文部省も文書にちゃんとして残しておりますように、東南アジアの場合にはちゃんと、侵略を進出と書きかえさせている。同時にまた、たくさんの例があるということをこの前私は挙げましたけれども、侵略を消していろいろな表現に変えておるというのは、これはもう十以上もあるんですね。」と質問した。それに対して岸田文雄文部科学副大臣は「去る五月二十三日の本委員会で、昭和五十六年度に実施した高等学校の教科書検定では、日中戦争に関しては侵略を進出と書き改めた事例はなかったが、日本の東南アジアへの侵略を進出と書き改めた事例があったという答弁をしたわけですが、その五月二十三日の本委員会での答弁と、先ほど申しました町村大臣との答弁、矛盾はしていないというふうに理解しております。」と、中国以外では侵略を進出に書き換えた事実があったことを認める答弁をした。
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