2001年の大クラッシュ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 04:52 UTC 版)
「ルチアーノ・ブルティ」の記事における「2001年の大クラッシュ」の解説
ドイツGPのスタート直後、ギアボックストラブルにより加速出来ないでいたミハエル・シューマッハに激しく追突。ブルティのマシンはほぼ垂直に跳ね上がり、裏返しでアロウズのフロント部分にリア部分が被さる形で落下。反動で表向きに戻ったマシンは横向きのまま1コーナーを直進しタイヤバリアに接触して停止した。 これによりセーフティーカー導入後に再スタートとなり、無傷と思われたブルティも再スタートを切るが、クラッシュにより手を負傷しておりレース中に痛みが悪化する。プロストのマシンにはパワーステアリングが装着されていなかった事もあり、ブルティは運転が困難であるとチームにリタイアを申し出る。しかし、プロストに却下され走り続けた結果、24週目の1コーナーを曲がることが出来ずコースアウトしリタイヤとなった。 ベルギーGPでは超高速コーナーのブランシモンでエディ・アーバインのインについた際にアーバインの左リアタイヤとブルティのフロントウイングが接触。ウイングが脱落しコントロール不能となったブルティのマシンはブランシモンを直進し、ほとんど減速すること無くタイヤバリアにTボーンクラッシュした。ブルティのマシンはコクピットの後ろまでが4重のタイヤバリアに完全に埋もれ、クラッシュしたアーバインもマーシャルと共に救出にあたるが、救出が難航したため赤旗中断となった。 最悪の事態が予想される大事故だったが命に別条は無かった。しかしこのクラッシュはヘルメットがタイヤバリア奥のガードレールに直撃した上、顎の部分には拳程の穴が開くほど凄まじいものだった。脳震盪を起こしていたブルティは48時間後に意識を取り戻したが、入院は一週間に及んだ。意識回復後は短期記憶に問題があった事を後年語った。 この年は残りのレースを全て欠場し、そのままF1の表舞台から姿を消す事となったが、「肉体的に回復するのに時間がかかり、自信を失い、精神的にとても弱かった。でもよかったことは、完治したときはもっと強くもっと成熟していた」と語っている。
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