2歳の年度代表馬の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:05 UTC 版)
「フューチュリティステークス (アメリカ合衆国)」の記事における「2歳の年度代表馬の誕生」の解説
6回目の開催、1893年のフューチュリティステークスは、この競走が全米を代表する競走であることを決定的にした。この年はフューチュリティステークスの開催日にあたる8月29日に暴風雨が上陸して大変な天候になった。悪天候で外出を断念した人が多かったので、来場した観衆は8000人から多くても15000人と見積もられている。この日、単勝1.4倍の本命になったのが、シカゴでハイドパークステークスを圧勝してきた6戦無敗のドミノである。 きれいなスタートと共にタラール騎手はドミノを先頭に立たせたが、これをギャリリー(Galilee)が激しく突っつく展開になった。最初のコーナーを曲がると、ギャリリーがドミノを追い越して先頭に立ち、横からはドービンス(Dobbins)がドミノに被せてきて大本命馬を包囲した。有利な位置取りを求めて騎手たちの怒号が飛び交った。道中、ドミノの僚馬ハイデラバード(Hyder Abad)が落馬してドミノはこれを避けるために不利があった。直線を向くと、ドミノは外からギャリリーに並びかけようとするが、ドービンスが反対側から迫ってドミノをはさみこんだ。そのまま3頭が鼻面を合わせての激しい叩き合いになった。大観衆からはたいへんな叫び声が飛んだ。ドミノの馬主のジェームズRキーンだけは声も出せず、株の大暴落を見つめるウォール街の住人のように真っ青な顔をしていた、と当時のニューヨークタイムズは伝えている。最終的には、タラール騎手の素晴らしい騎乗によって、ドミノはハナ差で勝利をおさめた。悪天候にも関わらず、走破タイムの1分12秒4/5は3/4マイルの新記録となった。2着にギャリリーが入ったが、ギャリリーの負担重量はドミノよりも15ポンド(約6.8キロ)少なかった。 総賞金の65000ドルあまりのうち、優勝したドミノの馬主には49715ドル、生産者のディキシアナ牧場には4000ドルが支払われた。2着馬には馬主に約5200ドル、生産者に2500ドル、3着馬は馬主に2666ドル、生産者に1000ドルがそれぞれ与えられた。ドミノの獲得賞金は14万ドルを越えた。ドミノには「アメリカでかつて生産された中で最も偉大な馬」という評価が与えられた驚いたことに、ドミノの馬主はこの勝利でも飽き足らず、フューチュリティのわずか2日後にドービンスに10000ドルを賭けてマッチレースを申し込んだ。ドミノは連戦で疲弊していつもの調子がなく、ドービンスを振りきれずに同着になった。ドミノはこの年、さらにメイトロンステークスに出たが、ここには強い相手がなく楽勝した。この年、ドミノが稼いだ賞金は17万ドルほどになって、2歳馬の獲得賞金記録となった。この記録は38年間破られなかった。ドミノはこの年のアメリカ年度代表馬に選出されたが、2歳馬が年度代表馬になるのは史上初だった。ドミノはわずか19頭の産駒を残して夭逝したが、その中からコマンドーが再び2歳で年度代表馬になり、その子コリンはフューチュリティステークスに勝って2歳で年度代表馬になった。。
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