1999 - 2004(J2)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 01:13 UTC 版)
「大宮アルディージャ」の記事における「1999 - 2004(J2)」の解説
1999年 ピム・ファーベーク体制2年目。序盤は首位争いをしていたが、得点源賭して牽引役となっていたFWヨルン・ブーレが5月に深夜に暴漢に襲われ左眼失明の重傷を負って引退すると失速し、最終順位は6位。ピム・ファーベークはこの年限りで退任。 2000年 ファーベークの後任に三浦俊也が監督に就任。浦和がJ2に降格したこともあり、この年初めてリーグ戦でのさいたまダービーが行われた。 2001年 三浦体制2年目。第11節から12連勝(延長Vゴール勝ち3試合を含む)、第8節から17戦無敗を記録するなど、前半戦を17勝(うちVゴール勝ち4)3分2敗の勝点50、2位京都に勝点差5の首位で前半を折り返すと、後半はFWジョルジーニョとパナマ代表のFWバルデスが重傷を負い得点力が低下、新加入のFWバレーが活躍したもののチームは不調に陥り、後半戦では9勝(うちVゴール勝ち2)3分10敗で負け越しとなり、最終的に年間勝点78の5位に終わった。この年限りで三浦は辞任。 2002年 三浦の後任にヘンク・デュットが監督に就任するが、年間を通じて4糸8位の間を行き来する順位となり、1度も昇格圏内に入れずに最終順位6位。 2003年 菅野将晃が監督に就任し、シーズン序盤は6戦負け無しで一時2位に浮上するが、その後は昇格圏に上がれず、10月には菅野が退任しゼネラルマネージャーだった清雲栄純が監督に就任。最終的に前年同様の6位に終わる。 2004年 3シーズンぶりに三浦俊也を監督として招聘。 シーズン前半は一時8位に沈むときもあったが、第19節から6戦負け無し(5勝1分け)で2位に浮上すると、第32節からはシーズン終了まで13連勝を果たし、この年独走した川崎を捉えることは出来なかったものの、シーズン2位で初のJ1昇格を果たした。
※この「1999 - 2004(J2)」の解説は、「大宮アルディージャ」の解説の一部です。
「1999 - 2004(J2)」を含む「大宮アルディージャ」の記事については、「大宮アルディージャ」の概要を参照ください。
- 1999-2004のページへのリンク