1998年の着氷性暴風雨
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「イドロ・ケベック」の記事における「1998年の着氷性暴風雨」の解説
1998年1月、5日間連続で発生した深刻な雨氷でイドロ・ケベックの歴史上最も大規模な停電が発生した。氷の重みで南ケベックにある600キロメートル (370 mi)の高圧電線と3,000キロメートル (1,900 mi)以上の中圧、低圧電線が崩壊、最大140万人のイドロ・ケベック使用者が5週間の停電という被害を受けた。 モントリオールが停電中、イドロ・ケベックのシンボルはそれでも点灯していた。モンテレジー地域の一部、モントリオール南部は停電被害が最悪だったため、地元メディアや住民から「暗闇の三角形(フランス語: Triangle noir)」と揶揄された。氷の量は数カ所で100 mm (4 in)を超えた。モントリオール島(英語版)、ウタウエ地域も停電に見まわれ、多数のケベック住民が暖房に使用する電力に関して重大な懸念が示されるようになった。イドロ・ケベックは即時1万人以上の労働者を動員し、南ケベックにある送電網の大部分の再建に乗り出した。今回の危機の絶頂となった1998年1月9日、モントリオール島へは単一の電線で供給されていた。そしてケベック州政府は市街地に飲料水を供給するために計画停電に頼らざるをえない悲惨な状況に追い込まれていた。 電気供給が完全に復旧したのは1998年2月7日のことだった。1998年におけるイドロ・ケベックの嵐による被害額は7億2500万カナダドルで、同じような災害への対策として今後数年間かけて電力系統を強化する予算に10億カナダドルを投じた。しかし、一部の運転でモントリオール周辺のループを閉じるために735 kVが必要で、過去の環境アセスメント無しで危機の絶頂期の時に承認したため直ちに反対運動が発生した。イースタンタウンシップス住人は裁判所に送電線を承認する枢密院勅令を撤回するように求めた。建設作業は議会(フランス語版)で着氷性暴風雨の直後に行われた作業を遡って承認する法案を可決した後に再開されたが、プロジェクトの継続には公聴会の開催が必要とされた。ハーテル=デス・カントン高圧電線の建設は2002年7月に承認され、翌年作業が行われた。
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