1997年 全日本ツーリングカー選手権 最終戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 23:53 UTC 版)
「本山哲」の記事における「1997年 全日本ツーリングカー選手権 最終戦」の解説
1997年、本山は全日本ツーリングカー選手権(JTCC)で中子修、黒澤琢弥とチャンピオン争いを繰り広げていた。中子がポイントリーダーで迎えた最終戦のインターTEC(富士)第2レースで、16周目のヘアピン進入時に本山のインを突いた中子がブレーキをロックさせ本山に接触、本山のマシンは損傷・スピンして順位を落とした。この接触でタイトルの望みが消えた本山は、中子に報復するため、1周のスロー走行の後、18周目の100Rでアウトから来た中子に接触し、中子はコースアウト・クラッシュした。その後、本山はピットに戻りレースを終えた。 この件で中子に罰金5万円、本山に罰金50万円のペナルティが科せられ、本山は後に行われたFN最終戦とJGTC GTオールスター戦への出場を停止された。この際競技ライセンスの剥奪やレース界追放も検討されたが、その才能を惜しんだNISMOやチーム・ルマンや鈴木亜久里の尽力により、何とか免れることとなった。モータージャーナリストの林溪清は著書「F1の秘密」内でこの事件について触れ、名指しはしなかったものの「このような選手にF1へ行く資格はない」と評している。 なお、本山と中子の当事者同士の間では、この件の直後にコントロールタワーで本山は中子と顔を合した際に謝罪しそれほどのわだかまりは無く、時を経て2020年には雑誌上で対談しこの最終戦の状況について述懐している。
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