1995年震災後の郊外型店との競合
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「星電社」の記事における「1995年震災後の郊外型店との競合」の解説
1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災により総売上高の42%を稼いでいた 三宮本店が全壊したほか、物流拠点や在庫商品など 100億円を超える被害を受け 業績が悪化し始めた。 そこに同じ兵庫県内に本拠地を置いていたライバルの家電量販店チェーンのミドリ電化(現・エディオン)が震災のあった1995年(平成7年)ごろから郊外への大型店を増やし、売上高を2倍以上に伸ばした。またコジマやヤマダ電機などの関東の家電量販店チェーンも兵庫県内でも大きな駐車場を持つ郊外型店の出店攻勢をかけるなど、安売りを武器にした郊外型量販店との競争が激化し始めた。 星電社は営業エリアを限定した関係で、売上規模がコジマやヤマダ電機などの低価格を売りにする家電量販店チェーンより大幅に劣ったため、仕入価格が高くなり店頭価格が5-10%ほど高くなったり、完全買取を条件に独自商品をメーカーに通常より数%以上安いコストで製造してもらえないなど価格競争への対応力が弱かった。さらに休日に家族連れが商品を車で持ち帰れる郊外店で買う傾向が強まる中、店舗の半数が駅前など市街地立地の店舗であったため郊外店と差別化した品揃え対応ができない中途半端な商品政策になるなど、家電販売業界の変化への対応も遅れがちとなった。 1998年(平成10年)3月に三宮本店を当時全国最大の家電店として再建したものの、震災後に若返えりつつ来街者数が回復した三宮の客層変化に対応できず、来店客回復の目論見は大きく外れ、売上は回復できなかった。これに伴い南館を閉鎖し手工芸用品専門店のユザワヤに貸し出したり、2000年(平成12年)7月にハーバーランド店を閉店 するなど集客力の落ちた店舗の閉鎖を進め、2002年(平成14年)1月に28店舗まで集約。 その後も店頭の品揃えが粗利益率の高いテレビや洗濯機など一般家電が少ない一方で粗利益率の低いパソコンが多い構成によりマツヤデンキを粗利益率で5-6ポイントも下回るほどの低い収益性であった ことなどにより、店舗のうち約3分の1が赤字となり、2001年(平成13年)5月期の売上高も約344億円にまで減少していた。
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