1992年以降の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/30 07:28 UTC 版)
「ファラブンド・マルティ民族解放戦線」の記事における「1992年以降の発展」の解説
ゲリラ組織から合法政党に転換した後、FMLNはエルサルバドルの各種選挙に参加してきた。1994年から2004年にかけて大統領選挙では、右派政権政党民族主義共和同盟(ARENA)に敗北しつつも、1997年以降は国会および地方自治体首長選挙では着実に党勢と支持基盤を拡大させてきた。 1994年大統領選挙では、FMLNは別の左派政党と共同でルベン・サモラを候補に立て、第一回投票で25%、第二回投票で31.6%を獲得したが、右派ARENAのアルマンド・カルデロン・ソル(第二回投票の得票率68.3%)に敗れた。一方で同年の国会選挙では84議席中21議席を獲得したものの、当選後7人がより穏健な政党に移籍したことから、党勢が危機に直面した。 しかしそうした分裂にもかかわらず、FMLNは1997年国会議員選挙では躍進を見せ、得票率33%で27議席とARENAとほぼ互角の成績だった。市長選挙でも躍進した。 1999年大統領選挙では、FMLNは元ゲリラ闘士のファクンド・グアルダド候補を立て、29%を獲得した。ARENAのフランシスコ・フロレス候補は52%を獲得した。 2003年国会議員選挙では、FMLNは得票率で34%、獲得議席数では31議席で、ARENAを4議席上回る勝利を収めた。また同年地方首長選挙でも首都市長などで勝利を収めた。 2004年大統領選挙では旧共産党幹部として1992年の和平協定に署名したこともあるシャフィク・アンダル候補が第一回投票で35.7%を獲得した。しかしARENAのアントニオ・サカが第一回投票で57.7%を獲得して勝利した。 2006年国会議員選挙で、FMLNは二大政党の一角としての地位を固めた。得票率で39.7%、獲得議席は32議席となり、ARENAの39.4%、34議席とほぼ並んだ。またFMLNは地方選挙でも、ビオレタ・メンヒバルが女性として初めてサンサルバドル市長に選ばれるなど勝利を収めた。 2009年には1月に国会議員選挙、3月に大統領選挙でそれぞれ実施されたが、国会議員選挙では得票率42.6%、獲得議席数35議席となり、右派与党のARENA (得票率38.5%、32議席)を上回る勝利を収めた。もっとも地方選挙ではメンヒバルが落選した。3月15日、大統領選挙ではFMLNはCNNスペイン語特派員の経験があり、党内穏健派に属するマウリシオ・フネスを候補に立てて勝利し、20年間続けてきた新自由主義路線の与党ARENAからの初の政権奪取を実現した。左傾化が進む中南米諸国に新たな左派政権が誕生した。18日、エルサルバドル中央選挙管理委員会は、大統領選挙の最終結果を発表した。それによると左派のファラブンド・マルティ民族解放戦線党(FMLN)のマウリシオ・フネス候補は51.32%(135万4000票)、右派の民族主義共和同盟(ARENA)のロドリゴ・アビラ候補は48.68%(128万4588票)であった。フネスは6月1日大統領に就任した。
※この「1992年以降の発展」の解説は、「ファラブンド・マルティ民族解放戦線」の解説の一部です。
「1992年以降の発展」を含む「ファラブンド・マルティ民族解放戦線」の記事については、「ファラブンド・マルティ民族解放戦線」の概要を参照ください。
- 1992年以降の発展のページへのリンク