1987年~ 第1回ワールドカップ
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「ラグビー日本代表」の記事における「1987年~ 第1回ワールドカップ」の解説
初のワールドカップ ラグビーには長年世界一を決める大会がなく、日本は海外遠征やラグビー強豪国を招いてのテストマッチでラグビー強豪国 (IRFB正加盟国8カ国)を破ることが悲願であったが、実力と試合機会という高い壁に阻まれてきた。1987年、ラグビーワールドカップが創設され、日本は第1回大会に招待された。 しかし、第1回ワールドカップの招待を受けたにもかかわらず、岡仁詩監督が大会直前になってNZへの研修留学という名目で辞任。急遽宮地克実が監督に就任した。初戦のアメリカ戦ではペナルティ・キック (PK)を5回も外し、勝てる期待の高かった試合を18-21で落とした。続くイングランド戦で7-60、オーストラリア戦で23-42と、3戦全敗で予選敗退となった。 その後は通常のテストマッチでも連敗が続き、1986年のスコットランド戦からテストマッチ11連敗という「暗黒の時代」が続いた。その後、1988年のアジア選手権で韓国に2大会連続で敗退 した責任を取り、日比野弘が監督を辞任。しかし、後任監督の選定には時間を要した。
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