1972年に再レコーディング
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「私は女」の記事における「1972年に再レコーディング」の解説
レディは「私は女」をヒットするようなシングルともラジオ向きの曲とも考えていなかったが、コンサートでは最初の曲に必ず選んでおり、ファンからも好評だったという。そんな頃、ウーマン・リブ運動を題材にした映画『Stand Up and Be Counted』(1972年5月公開)のオープニング・クレジットに使われることが決まった。キャピトル・レコードは万が一映画がヒットしたことを考えて、シングルとして発売することを決定。オリジナル・バージョンは2分15秒しかなかったため、再録音されることとなり、レディは歌詞を付け加えた。ロサンゼルスのサンウェスト・レコーディング・スタジオにリーランド・スカラー、ジム・ゴードン、マイク・ディージーなど腕利きのミュージシャンが集められ、ジェイ・センターのプロデュースの下、レコーディングは行われた。 1972年5月、シングルとして発売。B面はセカンド・アルバム『Helen Reddy』に収められていた「More Than You Could Take」。 同年12月9日付のビルボード・Hot 100で1位を記録した。オーストラリア出身の歌手/ミュージシャンが同チャートの1位を獲得するのは初めてのことだった。そのほかイージーリスニング・チャート2位、オーストラリア2位、カナダRPMで1位、キャッシュボックス誌で1位を記録するなど大ヒットとなった。同年11月発売のアルバム『I Am Woman』に収録された。また、第15回グラミー賞でレディは「私は女」により、最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞した。 シングルが出た1972年は、グロリア・スタイネムが雑誌『Ms.』を創刊し、オーストラリアでも『Cleo』が創刊され、女性解放運動がちょうど高まっている頃だった。1973年に全米女性組織(National Organization for Women)の年次大会がワシントンD.C.で開催されたとき、夜のイベントで「私は女」が演奏された。このときのことを組織の設立者、ベティ・フリーダンは次のように書いている。 突然女たちは椅子から立ち上がり、宴会場で踊り始め、そして一つの輪になって手をつなぎ始めた。輪はどんどんと大きくなり、おそらくは千人規模の人々が踊り、歌っていた。「私は強い、私は打ち負かされることはない、私は女だ」。当時私たちは「女が女として行動している」という高揚感があったが、その日起こったことは私たちの高揚感の自発的で、美しい発露だった。 2010年に開催された第82回アカデミー賞でキャスリン・ビグローが女性初の監督賞を受賞したとき、本作品のインストゥルメンタル・バージョンが演奏された。
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