1970年以降の完成までの道のり
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「アウトバーン 2 (スイス)」の記事における「1970年以降の完成までの道のり」の解説
1970年5月5日にゴッタルド道路トンネルが公式に建設を開始され、10年後の1980年9月5日の午後5時に開通した。1970年代にはアルトドルフからの北側のフィーダー路線も建設された。 同時に1971年からは全長9.3kmのゼーリスベルクトンネルの建設も始まり、同じく1980年に開通した。南にあるゴッタルド道路トンネルと違い、2本のトンネルが造られたため、これによりN2のこの区間は完全に4車線の高速道路となった。このトンネルによりニトヴァルデン準州とウーリ州、ひいてはスイス高原とゴッタルド峠が結ばれることになった。西側の出口は全長3km超のベッケンリート=レーネン高架橋に繋がっており、建設当時はスイスで最も長い橋梁であった。しかしこの記録は4年後にイヴェルドンにできたA5の高架橋に塗り替えられた。この区間の開通によってN2のルツェルンとゴッタルドトンネルの間の区間が完成した。 1971年から1974年にかけてバーゼル市内の路線が整備された。 1980年及び1981年にヴィッガータールジャンクションからルツェルン州のエンメン=北までが開通した。また1980年にはドイツのA5に接続するバーゼルのヴァイル・アム・ライン国境検問所が設置された。 1980年から1986年にかけてレヴェンティーナ地区のアイロロからベッリンツォーナ間が建設され、また1983年にモンテ・チェネリを通るルートが完成するとA2の全線が開通することとなった。特にレヴェンティーナ地区では長い間高速道路の建設が反対されていたため、多くのコストと時間を要した。これによって多数のトンネルや高架橋建設が余儀なくされ、特にビアシーナ高架橋(ドイツ語版)は標高100mの地点に建設されたため、現在スイスで二番目に標高の高い建造物になっている。 1996年に路線ナンバリングが変更され、「N2」から「A2(Autobahn2)」に呼称が変更された。
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