1970年代後半~1980年代:昭和歌謡・ニューミュージックの終焉
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また、中産階級志向・フュージョン・AOR志向のニューミュージックは、歌謡界とは一線を画しながらファンを拡大していった。1960年代からすでに存在していたアイドル歌謡も、引き続きヒットを出し続けた。1978年のピンク・レディーの『サウスポー』にシンセサイザーが使われ、同年にYMOが活動開始することでテクノ・ポップが日本で流行。その影響下でつくられた歌謡曲をテクノ歌謡とも呼ぶ。 1980年代になると、アイドル歌謡を中心に一部の楽曲は、それまでの歌謡曲の範疇から外れていく。さらにバンドブームも1980年末に到来したことも追い打ちをかけ、音楽が多様化していく。1989年に昭和が終わるとともに昭和歌謡の歌姫である美空ひばりが逝去し、前後して人気の高かった歌謡番組「ザ・ベストテン」が終了するなどテレビ、ラジオ問わず歌謡ランキング番組や賞レース番組も相次いで終了した。
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