1848年サロンでの成功
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「ジャン=フランソワ・ミレー」の記事における「1848年サロンでの成功」の解説
1848年2月、ルイ・フィリップ国王の7月王政が1848年のフランス革命(2月革命)で打倒され、共和派が実権を握った(フランス第二共和政)。シャルル・ジャックの友人であった共和主義者フィリップ=オーギュスト・ジャンロンが国立美術館総局長に就任し、その影響力で、内務省から、シャルル・ジャックや、テオドール・ルソー、ミレーへの作品の注文がされるようになった。 1848年3月から開かれたサロンは、民主化の結果として、無審査で、全応募作品が入選となった。ミレーは、この年のサロンに、『箕をふるう人』と『バビロン捕囚』を提出した。このうち、『バビロン捕囚』は、ニコラ・プッサンの手法にならった本格的な歴史画であったが、批評家の評判が悪かった。他方、『箕をふるう人』は、ミレーの農民画の出発点といえる作品であり、サロンでも好評を得た。批評家テオフィル・ゴーティエは、「色彩は堂々としたもので、赤い布を頭にかぶるが、それとぼろ着の青の対比が面白く、なかなか手慣れている。空中に舞う穀物の描写は極めて素晴らしく、この絵を見てくしゃみをする人もいるかもしれない」と書いた。内務大臣ルドリュ=ロラン(英語版)が500フランという高値でこの作品を買い上げた。2月革命の原動力となった農民が、赤・青・白という共和国のシンボルであるトリコロールと同じ色をまとうというイメージが、内務大臣の意にかなったとも考えられる。 『箕をふるう人』の成功によって、共和国政府からミレーに絵画制作の注文がされることになった。ミレーは、旧約聖書の創世記に題材をとった『ハガルとイシュマエル』を描きかけたが、結局、農民を主題とした『刈入れ人たちの休息』を提出した。これによって、1800フランの報酬を得た。 『箕をふるう人』1847-48頃。油彩、キャンバス、100.5 × 71 cm。ナショナル・ギャラリー(ロンドン)。1848年サロン出品。 『刈入れ人たちの休息』1848年。油彩、キャンバス、89 × 116 cm。オルセー美術館。政府注文。
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