133 - 135
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:34 UTC 版)
「山陽電気鉄道200形電車」の記事における「133 - 135」の解説
1945年に川崎車輛で製造された。発注は大戦末期であるが、資材が不足していたために終戦直後の12月に登場した。このグループも124 - 126のグループと同様に、旧兵庫電気軌道8, 10, 12の更新車という名目であった。車体塗色は茶色一色に変更されたほか、車体は徹底的に簡素化されたものとなり、前面は平妻3枚窓、車内も屋根は垂木が露出し、裸電球に座席は半減、クッションのない座席と戦時型車両そのもののスタイルで登場した。ただし、側面の窓配置は変わらなかったものの、登場前後に電鉄須磨 - 境川(現在の須磨浦公園 - 山陽塩屋間)間の併用軌道区間が新設軌道化されて路面乗降の停留所がなくなりステップが不要となったことから、台車中心間隔が拡大された。台車は従来のBW-1から、東京地下鉄道(現・東京地下鉄銀座線)1000形が装着していた日本車輌製造D-18が出自と伝えられる、より大型で心皿荷重上限の大きな形鋼組み立て釣り合い梁式台車であるBW-3に換装された。このグループも登場当時は電装品がなかったために制御車として運用された。
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