117日間漂流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 06:09 UTC 版)
「モーリス・ベイリーとマラリン・ベイリー」の記事における「117日間漂流」の解説
彼らのサバイバル・ストーリーは、最初のニュース記事が間違っていたために実際には期間が長くなったにもかかわらず、『117 Days Adrift』(117日間の漂流)として知られ、一貫性のためにこの名前を維持することが決定された。 ベイリー家の人々の旅は、彼らが31フィート (9.4 m)のヨット『Auralyn』でイングランド、サウサンプトンを離れたとき、始まった。彼らの意図した目的地はニュー・ジーランドであった。彼らは2月にパナマ運河を無事通過したし、ガラパゴス諸島に向かう途中にあった。1973年3月4日夜明けに、ヨットはクジラ1頭に襲われ、深刻な被害を受けた。ベイリー家の人々はいくつかの物資を膨らんだ救命いかだ兼ディンギーに移し、いくつかの食料、コンパス1つ、その他の物資を回収した後、『Auralyn』が波の下に姿を消すのを見守った。彼らは生き残るために、雨水を集めたし、わずかな食料がなくなったとき、手でまたはフックに作られた安全ピンで捕らえられたカメ、海鳥、そして魚のような海の生き物を食べ始めた。夫婦は開けた太平洋を漂流したとき、船が7隻見えたが、信号火炎がはたらかなくなり、緊急キットに信号鏡が含まれていなかったために、それら船の注意を引くことができなかった。彼らの救命いかだは分解し始め、頻繁な再膨張を必要とした。彼らは試練の初期に読書し、カード・ゲームで遊んだが、しかし後にベイリーは栄養失調と摩擦による痛みにひどく苦しんだ。後者はいかだの濡れた状態のために悪化した。彼らはサメらとイルカらに遭遇し、そして激しい嵐に耐えねばならなかった。 ベイリー家の人々は約1,500マイル (2,400 km)を移動した後、1973年6月30日に韓国の漁船『Weolmi 306』の乗組員によって救助された。船の船員らは最初にそれを通り過ぎた後にいかだを見つけた。夫婦はやせ衰えた状態で乗船させられ、1人あたり約40ポンド (18 kg)を失い、脚はかろうじて体重を支えることができた。『Weolmi 306』は彼らをハワイのホノルルに連れて行った。
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