1号石室
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 15:45 UTC 版)
1号石室は両袖型横穴式石室である。石室の全長4メートル、玄室の長さ2.8メートル、幅1.4メートル、高さ1.8メートルの規模である。周囲の墳丘には計3回補修された跡がみられ、追葬が行われたことがわかるが、最終的に石室が閉塞された後は人が立ち入った形跡はない。1992年に当時の地権者が重機を入れて開墾しようとしたところ、偶然この石室が発見された。重機によって石室の天井石の1枚がずれたが、石室内に損傷はなかった。すき間から石室内を見ると、供献用の須恵器や、木棺の残欠と思われる木材が確認された。このため、松山市は古墳所在地を公有化するとともに、翌1993年から学術調査を開始した。 奥壁の手前中央に須恵器の子持高坏があり、その左右に短頸壺や𤭯(はそう)などの須恵器、鉄斧、鉄鏃などの鉄器が置かれていた。須恵器の年代は6世紀の中頃から後半とみられる。木棺は2基あり、向かって左をA棺、右をB棺と呼ぶ。A棺は小口板や側板を有する箱形の木棺で、小口板間の距離は190センチほどである。一方、B棺は長さ190センチ、幅45センチ、厚さ4センチほどの厚い一枚板があるのみである。人骨はA棺・B棺に各1体のほか、石室の向かって左奥にもう1体あった。 B棺の人骨にはハエのサナギの殻が多数付着していた。このことから、B棺の遺体は、死後一週間ないし十数日の間、光の入る場所にあったことが推定され、古代における殯(もがり、遺体を本葬までの一定期間、仮安置すること)の存在を具体的に示すものとして注目される。
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