鼎の軽重を問う
出典:『Wiktionary』 (2018/04/06 10:00 UTC 版)
成句
由来
中国周の朝廷に、楚の荘王(春秋五覇の一人で王は僭称。楚は子爵位の国)が九鼎の重さを問うた。九鼎は夏王朝・殷王朝から周王朝に渡った王位の象徴であり、その重さを問うというのは、暗に九鼎を持ち帰る事を示唆し、つまり楚が周王朝に取って代わる事を示していた。それを周王の使者である王孫滿に諌められた故事より。
【白文】
【訓読文】
【現代語訳】
- 定王、王孫滿を荘王(楚子)への(西方の異民族討伐の)ねぎらいの使者とした。荘王が周王室の鼎の寸法を尋ねた。王孫滿がそれに答えて、「周の王室が保たれているのは、その徳行の故であり、鼎があるからではありません。(夏、殷がその徳行により興亡したことを語り)今、周の王室は、昔よりその威光が衰えてはいますが、天命によって、まだ代わったわけではありません。鼎の軽重を問うのは不遜というものです」と。
翻訳
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