鯖江工場建設と衛生陶器の製造開始
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「北陸窯業」の記事における「鯖江工場建設と衛生陶器の製造開始」の解説
昭和30年代の瓦事業は、所得倍増計画や経済の高度成長を背景に支えられ順調に伸長し地元民放ラジオの天気予報サービスで「瓦はヨーギョ」のコマーシャルが流れたこともあって皆に浸しまれ会社の知名度は上昇した。又、かねてより瓦釉薬の新規開発に苦労を重ねた結果、昭和31年度全国瓦振興展示会において、色瓦(深水瓦)が通産大臣賞を受賞し会社PRに一役かった。この時代は、東京オリンピック開催が決定し東海道新幹線の着工、高速道路網の整備など交通機関の拡充と都市化による人口の集中で建築率の大幅な増加が予想されており窯業技術を生かした建築関連の新規事業への進出を検討していたが、建築様式の近代化に伴う衛生陶器の必要性の高まりから昭和35年、この事業への参入の決定がなされた。直ちに工場建設、技術導入、市場開拓等の諸計画が立案され建設に向かっての人員配置が行なわれ、衛生陶器技術修得のため8名が愛知県常滑市の衛生陶器工場に派遣された。工場建設候補地として鯖江市駅裏が選ばれたのは、鯖江市の工場誘致条例に基づき指定を受けたこと、又、工場運営の為の労務環境、原材料の入手、製品の出荷等輸送上便利な鉄道沿線上にあったことにより決定され、地元地権者の協力によりその年の秋より、土地造成を行い工場建設に入った。翌36年5月第一次の工事が完成、先進地より技術者10数名を迎え炉に火が入り洗面器や非水洗便器等の待望の衛生陶器の生産が開始された。尚、この年の暮に労働組合が結成され上部団体として中部地区労働組合評議会(旧武生市)に加盟した。
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