高速化および世界記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 22:30 UTC 版)
「ベルリン-ハンブルク線」の記事における「高速化および世界記録」の解説
1931年6月21日にはシーネンツェッペリン(レールツェッペリン)の試験車がハンブルク・ベルゲドルフ駅 - ベルリン・レールテ駅間257kmを98分で走行することに成功した。カールシュテット - ヴィッテンベルゲ間では230km/hに到達し世界記録を達成した。この記録は1955年まで更新されることはなかった。しかしながら、運行の上でプロペラに問題があったことなどから実用化には至らず1934年7月を最後に運転されることはなくなった。1936年5月11日には05 002号機3両の客車を牽引した状態での試運転でヴィエッツニッツ - パウリーネンアウエ間で蒸気機関車の世界最高記録である200.4km/hに到達した。1933年5月15日にはフリーゲンダー・ハンブルガーの運行が開始され、ベルリン・レールテ駅 - ハンブルク中央駅間286.8kmを2時間18分、平均速度123km/hで結ぶようになった。これは当時の世界最高記録である。しかしながら、大多数の乗客は依然として3時間半から4時間を要する蒸気機関車牽引の急行列車を利用していた。 第二次世界大戦の勃発に伴い、軍事優先の輸送体系に転換を迫られたことから高速列車計画はここで打ち切られた。1997年に至るまでベルリン - ハンブルク間をフリーゲンダー・ハンブルガー以上の速さで結ぶ列車は復活しなかった。2001年夏に同区間の標準所要時間が2時間8分、一部のICEはさらに短い所要時間になった。2004年12月2日に高速化工事が完成してからは所要時間が約1時間半に短縮された。
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