飛行活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 16:58 UTC 版)
「メアリー・ラッセル (ベッドフォード公爵夫人)」の記事における「飛行活動」の解説
メアリーが飛行に興味を持ちだしたのは第1次大戦後の1918年、63歳と高齢になってからである。本人は飛行機に乗ると持病の耳鳴りの症状がいくらか和らぐと言っていたが、実際にはその後ほぼ完全に聴力を失ってしまった。1929年8月2日より、メアリーはケント州のリム空港(英語版)を出発、インドのカラチに到着してロンドン郊外クロイドン空港に帰還し、8日で1万マイルを飛行して記録更新に成功した。公爵夫人の乗るフォッカー F.VIIには彼女の専属パイロットC・D・バーナード(英語版)大尉及び整備士ボブ・リトルが搭乗していた。メアリーは愛機を当初「クセニヤ王女(Princess Xenia)」と名付けたが、後にそのしぶとさを称賛して「ザ・スパイダー(The Spider)」と改称した。 1930年4月8日デ・ハビランド DH.60 モスで初の単独飛行を行った。1930年4月10日、メアリーは再びC・D・バーナード及びボブ・リトルとともに、愛機「ザ・スパイダー」号でリム空港からケープタウンまで9000マイルを飛行し、それまで10日間だった飛行記録に対し91時間20分で到着、記録更新に成功した。 1934年及び1935年、同乗パイロットの空軍少尉R・C・プレストンと一緒にデ・ハビランド プス・モスに乗り、イギリス発でサハラ西部およびナイジェリア北部の広範囲にわたる飛行をしている。
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