風光美
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/09 05:17 UTC 版)
松江城創建者の堀尾吉晴が天守閣からの眺めに感動して嫁ヶ島を「湖中の一勝地なり」と評したのをはじめ、水郷松江のシンボルとして文豪・小泉八雲をはじめ多くの人々に愛されてきた。松江市都市計画部都市景観課職員によると、松江城から嫁ヶ島を眺める線上には高い建物を建ててはならないという不文律があるという。2007年(平成19年)には松江市景観条例が制定されている。 大正初期に如泥石が防波堤として置かれた際には恒藤恭が新聞紙上で「この湖の礼儀にかなわぬ無作法漢」、「4、5 本の松が小さな祠を護り、白い砂浜のはてに青葦が波に揺れる様こそ趣があった」、「やさしい島の面影が滅びてしまった」と批判。芥川龍之介も、「松江印象記」のなかで宍道湖の美しい景観を壊すものとして如泥石の防波堤を批判した。 作家の丸谷才一も嫁ヶ島越しに見る宍道湖の落日美を「純粋に審美的な風景美」と評し、山崎正和も国内でも稀な「眺めるためにだけある島」であることを指摘し、吉田兼好の言葉を借りて「田舎の人はそばに行って手で触ったり足で踏んだりしないと納得しないが、その意味において都会的センスのある島」と述べ、丸谷、山崎両者ともに松江が洗練された趣味の町である証しとして、人があまり近づかなかった当時の嫁ヶ島の在り方を高く評価した。 宍道湖観光遊覧船の「はくちょう」の遊覧コースとなっている。
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