須賀神社_(岡崎市)とは? わかりやすく解説

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須賀神社 (岡崎市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/01 18:29 UTC 版)

須賀神社

鳥居と拝殿
所在地 愛知県岡崎市樫山町字宮前84
位置 北緯34度55分20.3秒 東経137度17分18.5秒 / 北緯34.922306度 東経137.288472度 / 34.922306; 137.288472 (須賀神社 (岡崎市))座標: 北緯34度55分20.3秒 東経137度17分18.5秒 / 北緯34.922306度 東経137.288472度 / 34.922306; 137.288472 (須賀神社 (岡崎市))
主祭神 須佐之男命応神天皇、伊弉冉命、宇賀御霊、千代御前、日本武命、迦具土命、猿田彦命、大物主命[1]
社格 村社
創建 1513年永正10年)再建
本殿の様式 二間社流造
札所等 不明
例祭 須賀神社大祭
主な神事 不明
地図
須賀神社
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4月第2日曜日に開催される須賀神社大祭

須賀神社(すがじんじゃ)は、愛知県岡崎市樫山町字宮前にある神社。4月の大祭では4台の山車の引き回しが行われる。

概要

創立は不詳であるが、棟礼に永正10年(1513年)12月14日の再建とあり、室町時代後期には社殿が整えられたとみられる。1872年明治5年)10月3日、近代社格制度に基づき村社に列せられる。1907年(明治40年)、神饌幣帛料供進神社に指定された。

1913年大正2年)、秋葉社を合祀。1918年(大正7年)、豊富村の宮東、西原、大淵にあった迦具土命、猿田彦命、大物主命、宇賀御霊などを合祀[2]

本殿は虹梁と斗組の絵様の様式から判断して18世紀中期の建物と考えられる。拝殿ならびに覆屋(雨覆)は、棟札によれば1929年昭和4年)4月13日、棟梁近藤實蔵によって建立されている。

本殿は、桁行二間、梁間一間、二間社流造こけら葺である。拝殿は、桁行三間、梁間三間、入母屋造、銅板葺き、一間庇付である。

須賀神社大祭

脚注

参考文献

  • 『新編 岡崎市史 額田資料編 Ⅰ 文化財・考古・中世城館』岡崎市役所、2010年3月31日。 
  • 『額田町史』額田町役場、1986年11月1日。 



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