音楽のパトロンとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 08:53 UTC 版)
「エリザベス・スプレーグ・クーリッジ」の記事における「音楽のパトロンとして」の解説
アメリカにおいてエリザベスに先立つ音楽のパトロンとしては、フロンザリー弦楽四重奏団(英語版)を創設したニューヨークの銀行家エドワード・デ・コペや、クナイゼル弦楽四重奏団(英語版)を創設したボストンの銀行家ヘンリー・リー・ヒギンソンの例があるが、エリザベスがそれらのパトロンと大きく異なるのは、自らピアノを演奏して室内楽に参加していたという点である。 エリザベスは、できるだけ多くの人々に最高の音楽を提供することを自らの使命と考えていた。そのため、音楽に関心のない有力者が資金力にものを言わせてチケットを買うようなことを避け、本当に聴きたい人が聴けるよう、演奏会は「無料」かつ「先着順」で行うことに強くこだわった。また、前述のように、多くの人に音楽を届ける手段としてラジオに注目し、多くの音楽番組のスポンサーとなった。ラジオを通じて弦楽四重奏をアメリカの家庭に浸透させたエリザベスの功績は大きい。Uwate(2019)は、アメリカにおける弦楽四重奏の認知度を高めた3つの要素として、「エリザベス・スプレーグ・クーリッジ、アメリカ議会図書館、ブダペスト弦楽四重奏団」を挙げている。 エリザベスにとっての「最高の音楽」とはヨーロッパの音楽を指していた。エンゲルは、クーリッジ財団が国の機関である以上、アメリカ人の作曲家を優先して作曲を依頼すべきだと考えていたが、このような「アメリカ第一」の考えをエリザベスは否定した。なお、1937年の第8回クーリッジ音楽祭で大賞を受賞したイェジー・フィテルベルクの『弦楽四重奏曲第4番』について「理解できない」とコメントしているように、現代音楽の全てを理解していたわけではなかった。また、チャールズ・アイヴスの作品は嫌いだったらしく、委嘱などの関わりを持たなかった。
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