革命をとりまく世界の状況―1968
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:33 UTC 版)
「五月危機」の記事における「革命をとりまく世界の状況―1968」の解説
1968年は世界レベルで大衆の異議申し立て運動が活発化した年だった。 アメリカでは泥沼化したベトナムに対する反戦運動、中国では文化大革命が熱を帯び、日本では全共闘、東大紛争、こののちの10月2日にはメキシコでトラテロルコの虐殺がおきる。ベトナムのテト攻勢やワルシャワ条約機構軍によるチェコへの軍事介入(プラハの春)、メキシコオリンピック、西側の高度経済成長など、60年代後半は激動の時代だった。 旧態依然とした父権的な権力(白人=男性=異性愛)は同時代的な意識をもとめる民衆の挑戦をうけ、その権力の在り方そのものが問われるようになる。五月危機もそうした世界の潮流に呼応する形で起きた世界的な大衆運動の一環であり、それ以後のヨーロッパの大衆文化や思考の在り方にポジティヴな強い影響を与えた。 この運動の在り方や変革そのものを、保守・右派の価値観で否定的にとらえれば「危機」であり、左派、リベラルの立場で肯定的にとらえればパリ五月「革命」として見ることができる。
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